THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介
THE PADDLER | 025 Mr. Yoshiyuki Wada 建築デザイナー 和田義之さん|小田原
INPUT
「10代、バイクで訪れた湘南。いつか、ここに住みたい」
才能あふれる建築家がしのぎを削る湘南。小田原をベースに活躍する「KEMURI DESIGN(ケムリデザイン)」の和田義之さんも、そのひとりだ。古民家を再生した店舗デザイン、過去に『PADDLER』でも紹介した大磯の「つきやま」や茅ヶ崎の「MOKICHI TRATTORIA」を始め、昨年11月には「ちがさき・もあな保育園」の園舎も手がけた。
モダンなエッセンスを香らせながらも、旧き良き懐かしさと優しさを感じさせる。そんな温故知新的なデザインが特徴だ。和田さんは自らを「建築家」とは名乗らない。その肩書きは、あくまでも「建築デザイナー」だ。
「建築家というと仕事が絞られてしまいますが、デザイナーという言葉だと意外と自分のやっていることが全部説明つくのかなと思います」
和田さんは建築デザイナーとしては、ちょっと異色の経歴だ。高校生のころから現代アートに傾倒。卒業後は郷里の茨城県鉾田市から上京して、グラフィックデザインの専門学校に進学した。以来、日本グラフィック展などのコンペに出展を重ねるなどアートひと筋の道を歩んできた。そして人の紹介が縁で、平塚で活動をしていた彫刻家・藤田昭子さんの元で働き始めた。東京から移り住み、数年間、時には住み込みで同じ釜の飯を食べながら、野焼きの作品をつくり続けてきた。
「先生の影響は大きかったですね。彫刻で生計を立てれればと思っていましたが、生活のために仕事をしていくうちに、グラフィックデザインや店舗デザインがメインになっていきました」
看板やビールのラベルなどのグラフィックデザイン、ショップのディスプレイなどマルチに活躍するようになり、次第に評判を呼んで、今では店舗一軒トータルのデザインを手がけるようになった。アートとデザイン、建築の垣根を越えて自由に活動しているという訳だ。
「彫刻家は彫刻、建築家は建築みたいな感じがしますが、店舗とかをデザインする時も“塊”で考えていくので、やっていることは意外と似てるかなとも思うんです。インスタレーションではないんですが、灯りや照明の計画にしてもメリハリを考えます。闇をつくって明かりが浮き立つみたいな。何となく塊といえば塊。そういう感じで空間をつくっていくことが多いんです」
とはいえ、建築デザインは決して「自分個人の作品ではない。お客さんが思い描いているイメージを、理想に限りなく近づけるのが仕事」ときっぱり言い切る。建築デザインを完成させるためには、さまざまな人の手と思いが必要なのだ。
「僕らの仕事は現場合わせが多いので、最終がなかなか見えない、空間が定まらない。ですが、少しずつやりながら先が見えてきた時に、グーッと関わっているみんなが盛り上がっていく瞬間があるんです。『ここまで来たならもうちょっと良くしよう』と、その先にいくみたいな一体感が生まれた時に、やりがいを感じますね」
東京でグラフィックデザイン、平塚で彫刻の素養を育んだ和田さん。現在暮らす湘南という土地は、手がける建築にも大きな影響を与えていると言う。
「海が綺麗。何か実家の海とはちょっと違うような、ブルー。海が大好きで山も好きなんです。都内から近くて、温泉もある。立地的には最高の場所。気持ちよく生活できているんで、その辺は影響してると思います。都内で作品をつくっていた時とは、スケールが大きくなってるような気がします」
偶然の縁が、和田さんと湘南を引き合わせたが、実は以前にもこの地を訪れていた。
「10代のころにツーリングで西湘バイパスを走ってきたことがあって。城山(しろやま・小田原)の山の上から降りてくる時に、ここに住めたらいいなとずっと思ってたんですよ。まさかそれが本当になるとは!? という感じですね」↙︎
モダンなエッセンスを香らせながらも、旧き良き懐かしさと優しさを感じさせる。そんな温故知新的なデザインが特徴だ。和田さんは自らを「建築家」とは名乗らない。その肩書きは、あくまでも「建築デザイナー」だ。
「建築家というと仕事が絞られてしまいますが、デザイナーという言葉だと意外と自分のやっていることが全部説明つくのかなと思います」
和田さんは建築デザイナーとしては、ちょっと異色の経歴だ。高校生のころから現代アートに傾倒。卒業後は郷里の茨城県鉾田市から上京して、グラフィックデザインの専門学校に進学した。以来、日本グラフィック展などのコンペに出展を重ねるなどアートひと筋の道を歩んできた。そして人の紹介が縁で、平塚で活動をしていた彫刻家・藤田昭子さんの元で働き始めた。東京から移り住み、数年間、時には住み込みで同じ釜の飯を食べながら、野焼きの作品をつくり続けてきた。
「先生の影響は大きかったですね。彫刻で生計を立てれればと思っていましたが、生活のために仕事をしていくうちに、グラフィックデザインや店舗デザインがメインになっていきました」
看板やビールのラベルなどのグラフィックデザイン、ショップのディスプレイなどマルチに活躍するようになり、次第に評判を呼んで、今では店舗一軒トータルのデザインを手がけるようになった。アートとデザイン、建築の垣根を越えて自由に活動しているという訳だ。
「彫刻家は彫刻、建築家は建築みたいな感じがしますが、店舗とかをデザインする時も“塊”で考えていくので、やっていることは意外と似てるかなとも思うんです。インスタレーションではないんですが、灯りや照明の計画にしてもメリハリを考えます。闇をつくって明かりが浮き立つみたいな。何となく塊といえば塊。そういう感じで空間をつくっていくことが多いんです」
とはいえ、建築デザインは決して「自分個人の作品ではない。お客さんが思い描いているイメージを、理想に限りなく近づけるのが仕事」ときっぱり言い切る。建築デザインを完成させるためには、さまざまな人の手と思いが必要なのだ。
「僕らの仕事は現場合わせが多いので、最終がなかなか見えない、空間が定まらない。ですが、少しずつやりながら先が見えてきた時に、グーッと関わっているみんなが盛り上がっていく瞬間があるんです。『ここまで来たならもうちょっと良くしよう』と、その先にいくみたいな一体感が生まれた時に、やりがいを感じますね」
東京でグラフィックデザイン、平塚で彫刻の素養を育んだ和田さん。現在暮らす湘南という土地は、手がける建築にも大きな影響を与えていると言う。
「海が綺麗。何か実家の海とはちょっと違うような、ブルー。海が大好きで山も好きなんです。都内から近くて、温泉もある。立地的には最高の場所。気持ちよく生活できているんで、その辺は影響してると思います。都内で作品をつくっていた時とは、スケールが大きくなってるような気がします」
偶然の縁が、和田さんと湘南を引き合わせたが、実は以前にもこの地を訪れていた。
「10代のころにツーリングで西湘バイパスを走ってきたことがあって。城山(しろやま・小田原)の山の上から降りてくる時に、ここに住めたらいいなとずっと思ってたんですよ。まさかそれが本当になるとは!? という感じですね」↙︎
OUTPUT
「古い建物を大事に使う。それが街のためになれば」
小田原城のおひざ元、栄町は、市内随一の繁華街だ。今でも老舗の呉服店や酒屋老舗の商店が立ち並び、往時をしのばせる。その一角にひと際目を引く建物がある。昔ながらの町屋で大きく張り出した梁が威風堂々とした佇まい。中をのぞくと、奥に厨房を構え、テーブルとイスが並んだいわゆる古民家カフェのよう。だが、店内は骨董や照明、古本やマンガ、雑貨やギター、オブジェが無造作に飾られた時代やジャンルを超えたシームレスな世界。
10年ほど前に、和田さんが奥様の真帆さんとともにオープンした「nico cafe(ニコカフェ)」だ(City Guideで紹介)。ベースは築90年の元建具屋。旧き良さはそのままに、ランチやお茶ができるカフェのほかに、ハンドメイド雑貨や古雑貨なども販売する。「暮らしの遊び」が「nico cafe」の枕ことば。空間には、和田さん夫婦の遊び心に富んだライフスタイルが満ち、単なる古民家カフェとは一線を画する。
「子どもが生まれてから、子連れで行けるカフェがなかった。あることはあるんですけど、フードコート的な所だったりと、ちょっと落ち着くことはできない。店舗デザインをしていたので、自分たちの店もつくりたいよね、という話はずっとしていて……。そういうタイミングで、ちょうどいい物件を見つけたのがきっかけです」
和田さんは、先述した「MOKICHI TRATTORIA」では、鎌倉から築450年の古民家を茅ヶ崎に移築する店舗デザインに携わった。以来、古民家の再生の依頼が少なくない。
「古いものをリノベーションすると、どうしてもどこかに共通点が出てくるのかなというのはあります。古材で白壁、照明器具がちょっと洋風っぽいのとか。そういうパターンみたいなものが、もしかしたらうちっぽいと思われるのかも。それを見て、『お願いしたい』というお客さんがいらっしゃったりすることもあるので」
城下町の小田原には、まだ古い建築物が残っているが、ここ数年で次々と姿を消している。そんな地元の姿に建築デザイナーとして危惧を抱いている。
「この辺りには、建物としてまだ使えそうな古い物件って結構あるんです。そのまま壊すことなく、後10年20年大事に使っていきましょう、ということに少しでも役に立てたらなとは思います。街のために云々というよりは、できることをやっていたら結果、街のためになったというのが、一番自然な流れかなと思ってます」
10年ほど前に、和田さんが奥様の真帆さんとともにオープンした「nico cafe(ニコカフェ)」だ(City Guideで紹介)。ベースは築90年の元建具屋。旧き良さはそのままに、ランチやお茶ができるカフェのほかに、ハンドメイド雑貨や古雑貨なども販売する。「暮らしの遊び」が「nico cafe」の枕ことば。空間には、和田さん夫婦の遊び心に富んだライフスタイルが満ち、単なる古民家カフェとは一線を画する。
「子どもが生まれてから、子連れで行けるカフェがなかった。あることはあるんですけど、フードコート的な所だったりと、ちょっと落ち着くことはできない。店舗デザインをしていたので、自分たちの店もつくりたいよね、という話はずっとしていて……。そういうタイミングで、ちょうどいい物件を見つけたのがきっかけです」
和田さんは、先述した「MOKICHI TRATTORIA」では、鎌倉から築450年の古民家を茅ヶ崎に移築する店舗デザインに携わった。以来、古民家の再生の依頼が少なくない。
「古いものをリノベーションすると、どうしてもどこかに共通点が出てくるのかなというのはあります。古材で白壁、照明器具がちょっと洋風っぽいのとか。そういうパターンみたいなものが、もしかしたらうちっぽいと思われるのかも。それを見て、『お願いしたい』というお客さんがいらっしゃったりすることもあるので」
城下町の小田原には、まだ古い建築物が残っているが、ここ数年で次々と姿を消している。そんな地元の姿に建築デザイナーとして危惧を抱いている。
「この辺りには、建物としてまだ使えそうな古い物件って結構あるんです。そのまま壊すことなく、後10年20年大事に使っていきましょう、ということに少しでも役に立てたらなとは思います。街のために云々というよりは、できることをやっていたら結果、街のためになったというのが、一番自然な流れかなと思ってます」
THE PADDLER PROFILE
和田義之
1968年茨城県生まれ。東洋美術学校でグラフィックデザインを専攻。卒業後、画廊勤務を経て、平塚市在住の彫刻家・藤田昭子さんに師事。その後、グラフィックデザイン、ショップディスプレイを経験して、建築デザイナーへ。以後、小田原をベースに古民家のリノベーションなどユニークな建築を手がける「KEMURI DESIGN」を主宰、「nico cafe」を奥様の真帆さんとともに経営。料理にはこだわりがあり、昼時には調理にも携わる