PADDLER’S EYE 湘南の今を独自取材した特集と連載

SPORTS&OUTDOOR #001 シーカヤック・海洋冒険 -前編-
「海を旅して、人とのつながりの大切さを知った」
八幡 暁さん

海と山に囲まれた湘南は、スポーツやアウトドア・アクティビティが盛んだ。
ここでは毎月1つのアクティビティに焦点を当て、その道のエキスパートを通じて魅力に迫る。
第一話に登場するのは、シーカヤックで太平洋を1万キロ以上にわたり単独航海を続けた海洋冒険家、八幡さん。
大海原への冒険に臨んだ理由は? そして、そこで出会ったものは?

>>「シーカヤック・海洋冒険 -後編-」はこちらから

2017.11.02 THU | UP

Photos : Yasuma Miura , Satoru Yahata  Text : Paddler

地域の仲間が集まる逗子は、八幡さんにとっての"ホーム"だ
秋も深まってきた週末の一日、逗子のビーチはまだ夏の名残の太陽がまぶしく、ウインドサーファーやカップル達でにぎわっていた。砂浜の一隅から子供達の元気な声が聞こえてくる。半袖にショートパンツ、中には水着姿の子も。その輪の中心で、子供達相手に笑っているのが八幡暁さんだ。長身で日焼けした筋肉質な体躯、見るからに海の男という佇まい。子供達を見つめる眼差しは、どこまでも優しい。

八幡さんは、今から15年ほど前にオーストラリアから日本まで、島々を巡りながら大海原をカヤックで旅をした。サポートをする伴走船もなし。その距離1万キロ以上、文字通り単独の航海。後に「グレートシーマンプロジェクト」と名付けられた海洋の冒険は、世界初となる航海記録を幾つも打ち立て、テレビ番組などメディアでも取り上げられた。

「今日は、子供達の海の運動会のお手伝いなんです。自分の遠征とか個人的な興味は、心の中である程度ひと段落ついているんです」
今、八幡さんは石垣島をベースに、長年暮らしていた逗子を行き来する生活を送っている。ここ逗子にやってくるのは、子供達が地元の湘南の自然と親しむことを目的とした『黒門とびうおクラブ』の活動のためだ。

そもそも八幡さんが海に駆り立てられたのは、「カヤックで記録を立てようとかチャンピオンになりたいとかも思っていなかった」し、「人類の足跡を探すみたいな崇高な目的もなかった」。ただ頭にあったのは「海の民の暮らしを知りたい」ということだった。

生まれも育ちも東京で、海とは縁のない八幡さんが大海原に目を向けるようになったのは、大学時代の「挫折」がきっかけだった。
「ずっとアメフトをしていたのですが、周りとのレベルの差に痛感してやめてしまったんです。特にやりたいこともないし。それまで運動ばかりしていたので本や新聞を読んでみようとなって。で、ある記事になぜか引っかかって」
それは八丈島で足ヒレを付けモリで魚を獲って暮らしている男の話だった。↙︎
「カヤックは歩くのと同じくらいの速さ。まさに海の上を歩いている感覚」
八幡さんの旅のスタイルは現地調達。素潜りのギアとモリは欠かせない
カヤックに乗った瞬間に「これで、もうどこへでも行ける」と直感した。まさしく旅の足だ
会ってもらえませんかと男に手紙を書き、返事もなく約束もないまま島に渡った。結局、本人とは出会えなかったが、縁あって八丈島の「海の民」と交わることができた。

「そこで見た世界が、この僕が当時20年生きてきた世界とあまりにも違って。ガーンとやられました」
海で魚を獲り山では野菜を採る。売れば利益になるのに、みんなで共有する。半農半漁の人々が助け合って暮らすコミュニティがそこにはあった。
「当時の僕はスポーツでも負け、勉強もできない。いわゆる競争社会の負け組。でも、ここの人達は、別に何とも争ってない。そこでそもそも人間って、どうやって生きてるのという疑問が湧いたんです」
そのような生きることへの根本的な問いが、「もっと海の民の暮らしを見てみたい」と、八幡さんを太平洋に駆り立てたのだ。

「海の上を歩く」ためのツールと選んだカヤックは独学で習得した。旅先で食料を調達するために海に潜って魚を獲るわけだが、こちらも八丈島で学んだ。
「『おれにはできない』。そんなことはない、本気になればできるんです」
そして、航海を通して様々な島で人々と触れ合い、暮らしを目にして悟った。
「どんな環境でも人間は生きていける。ただ一人では生きることはできない」

旅から戻り、八幡さんは家から一番近い公園に足を運び、ただそこにやってきた子供達と遊ぶことから始めた。「生きることの充実感と人のつながりを戻すコミュニティを作り直したい」と、さらに昨年、『一般社団法人そっか』をみんなで立ち上げた。砂浜で戯れる子供達の笑顔を目にすると、その思いが実りつつあることを実感する。今、八幡さんは新しい冒険に挑んでいる。この湘南の地から…。
旅の食事といえば携行食がお決まりだが、地産地消が八幡流。豊漁の際には干物を作って保存食に
日本を離れることで、現代社会のコミュニティの希薄さに危機感を持った
八幡さんにとって、カヤックは「世界をつなげる道具」。様々な人と出会うことができた

PROFILE

八幡 暁

1974年東京都生まれ。
2002年よりオーストラリアから日本までの多島海域を舞台にした人力航海の旅「グレートシーマンプロジェクト」をスタート。
フィリピンー台湾海峡横断(バシー海峡)(07年)など世界初となる航海記録を複数持つ。
現在、石垣島で「手漕屋素潜店 ちゅらねしあ」を主宰する。