THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介
THE PADDLER | 056
Mr. Yusuke Hanai
アーティスト
花井祐介さん | 逗子
INPUT
「毎日のように友達とたむろしていた店のオーナーにサーフィンや音楽を教えてもらったんです」
ちょっと猫背で冴えない表情、でも、眺めているとなんだか楽しい気分になるし、可愛らしく思えてくる男たちをモチーフにした作品を中心に、すこしシニカルでユーモアのある世界観で人気のアーティスト・花井祐介さん。逗子の小坪にある花井さんのアトリエを訪ねると、そこには画材はもちろん、無数のフィギュアやレコード、アートブックにサーフボードなど、楽しそうなもので溢れていた。それら全てが花井さんを形成しているんだなとは、すぐに理解できる。
「絵は好きで子どもの頃からずっと描いていました。キン肉マンを描いたり、友達の似顔絵を描いたりしたのが始まりですね。高校生の頃に住んでいた横浜の金沢八景のマンションの前に毎日のようにコーラ一杯でずっといるみたいな、友達とたむろするベーカリー・カフェがあったんです。そこのオーナーにサーフィンや店でかかっている60~70年代のアメリカン・ロックなどの音楽とか、いろんなことを教えてもらいました」
そのベーカリー・カフェが移転し、新店舗を立ち上げる際に花井さんが手伝うことになるのが、かつて金沢文庫にあったダイニングバー『ザ・ロード・アンド・スカイ』。「オーナー」とは、現在は逗子にあるライブハウス&レストラン『surfers』のオーナーである成瀬一郎さんだ。↙︎
「絵は好きで子どもの頃からずっと描いていました。キン肉マンを描いたり、友達の似顔絵を描いたりしたのが始まりですね。高校生の頃に住んでいた横浜の金沢八景のマンションの前に毎日のようにコーラ一杯でずっといるみたいな、友達とたむろするベーカリー・カフェがあったんです。そこのオーナーにサーフィンや店でかかっている60~70年代のアメリカン・ロックなどの音楽とか、いろんなことを教えてもらいました」
そのベーカリー・カフェが移転し、新店舗を立ち上げる際に花井さんが手伝うことになるのが、かつて金沢文庫にあったダイニングバー『ザ・ロード・アンド・スカイ』。「オーナー」とは、現在は逗子にあるライブハウス&レストラン『surfers』のオーナーである成瀬一郎さんだ。↙︎
「『ザ・ロード・アンド・スカイ』が完成しそうな頃に、ロゴや看板はどうする? っていう話になって、『ユウスケ、お前いつも絵を描いてるから描いてくれよ』って成瀬さんに言われて看板を描いたんですよ。20歳の時ですね。看板制作なんて初めての経験でしたよ。そのほかにもメニューの挿絵や、店ではライブやイベントがあるんでフライヤーもたくさん作りました。成瀬さんが『THE ART OF ROCK』(1960〜70年代のコンサートポスターを集めたアートブック)を僕に見せて、これっぽい感じ作ってよ、みたいなオーダーを受けたりという感じでしたね。リック・グリフィン(60年代のサイケデリック・アートの代表的アーティスト)が描いたグレイトフル・デッドやジミ・ヘンドリックスとかのライブポスターが好きで、その頃はよく真似をして描いていましたね」
そんな経験もきっかけになり、アートの世界に進もうと決めた花井さん。カルチャー的に大きな影響を受けたアメリカでアートを学ぼうと、サンフランシスコへ渡った。その頃のサンフランシスコにはヒッピー・カルチャーの名残りはなかったが、バリー・マッギーをはじめとしたベイエリアのアーティストたちが活躍しはじめた頃で、魅力的なシーンがあったようだ。
「ITの人たちがたくさん来る前だから、まだ家賃も安かったし、サンフランシスコにたくさん面白い人、変な人たちがいた頃ですね。あの街の少し影がある雰囲気が好きなんですよ」
アートカレッジで学んでいたが、日本で働いて貯めたお金が底をついてしまったため、卒業はあきらめなくてはならなかった。それでも、多くのことを吸収して日本に帰国。帰国後は友人の看板屋で働きながら絵を描き続けた。↙︎
そんな経験もきっかけになり、アートの世界に進もうと決めた花井さん。カルチャー的に大きな影響を受けたアメリカでアートを学ぼうと、サンフランシスコへ渡った。その頃のサンフランシスコにはヒッピー・カルチャーの名残りはなかったが、バリー・マッギーをはじめとしたベイエリアのアーティストたちが活躍しはじめた頃で、魅力的なシーンがあったようだ。
「ITの人たちがたくさん来る前だから、まだ家賃も安かったし、サンフランシスコにたくさん面白い人、変な人たちがいた頃ですね。あの街の少し影がある雰囲気が好きなんですよ」
アートカレッジで学んでいたが、日本で働いて貯めたお金が底をついてしまったため、卒業はあきらめなくてはならなかった。それでも、多くのことを吸収して日本に帰国。帰国後は友人の看板屋で働きながら絵を描き続けた。↙︎
そんな時、日本でグリーンルーム フェスティバルが開催されることになる。グリーンルーム フェスティバルとは、サーフカルチャーをバックボーンに持つ2005年に始まった音楽とアートのカルチャーフェスティバルで、花井さんは『ザ・ロード・アンド・スカイ』の出店スタッフとして参加。いつものように看板制作をしていたところ、ある出会いがあった。
「グリーンルームは当初、アメリカ西海岸で人気だったムーンシャインフェスティバルとの共同企画ではじまり、アートのキュレーションもムーンシャイン側がやっていたんです。キュレーターのウィルやアーティストのアンディ(・デイビス)が僕の描いた看板を見て『これ描いたの誰だ?』って言うから、俺だ俺だって感じで彼らと出会いました。でも、その時は彼がキュレーターだなんて知らなかったから、やたら話しかけてくるこの人は誰だろう? っていう感じでしたよ(笑)。ウィルが『お前の絵面白いよ。俺はラグナビーチでギャラリーをやっているから絵を送ってくれ』って言ってくれたんですよ。そこが、今はもう無いのですが『Thalia Surf Shop』というサーフショップに併設された『The Surf Gallery』というギャラリーだったんです」
この出会いがきっかけとなり、花井さんのアーティストとしての人生が大きく動き出す。アメリカでのグループ展などにも呼ばれるようになり、翌年のグリーンルーム フェスティバルにはアーティストとして参加。注目を集め始めた。
それでも、アート一本でやっていくには少し時間が必要だったようで、ウェブデザイナーとして働きつつ作品制作するという生活を続けたという。↙︎
「グリーンルームは当初、アメリカ西海岸で人気だったムーンシャインフェスティバルとの共同企画ではじまり、アートのキュレーションもムーンシャイン側がやっていたんです。キュレーターのウィルやアーティストのアンディ(・デイビス)が僕の描いた看板を見て『これ描いたの誰だ?』って言うから、俺だ俺だって感じで彼らと出会いました。でも、その時は彼がキュレーターだなんて知らなかったから、やたら話しかけてくるこの人は誰だろう? っていう感じでしたよ(笑)。ウィルが『お前の絵面白いよ。俺はラグナビーチでギャラリーをやっているから絵を送ってくれ』って言ってくれたんですよ。そこが、今はもう無いのですが『Thalia Surf Shop』というサーフショップに併設された『The Surf Gallery』というギャラリーだったんです」
この出会いがきっかけとなり、花井さんのアーティストとしての人生が大きく動き出す。アメリカでのグループ展などにも呼ばれるようになり、翌年のグリーンルーム フェスティバルにはアーティストとして参加。注目を集め始めた。
それでも、アート一本でやっていくには少し時間が必要だったようで、ウェブデザイナーとして働きつつ作品制作するという生活を続けたという。↙︎
OUTPUT
「アトリエの近くにある商店のTシャツも描いてたりもするんです。近所のおばあちゃんとかも着てますよ(笑)」
逗子に移り住んだのが2010年。その頃にウェブデザイナーの仕事は辞め、アーティスト活動のみに舵を切り替えた暮らしとなる。それからは、日本でのBEAMSとのコラボレーションをはじめ、VANSやNIXSONなどとのコラボレーションといったグローバルな展開も続き、世界からも注目される存在となった。コンスタントに国内外で作品を発表し、2021年にはニューヨークでのグループ展、香港での個展など、活躍の舞台は広がり続けている。
そんな、今では世界的なアーティストになった花井さんだが、鎌倉のクラフトビール「ヨロッコ・ビール」のラベルアートワークや、鎌倉のビアスタンド『VANAVASA』のキャラクター、逗子『surfers』の看板関係など、花井さんのアートワークには湘南エリアの各所でも出合うことができるのだ。これは同じ街に暮らす人間にとってはとても嬉しいことだ。
「地元の人の繋がりはずっと大切に思っています。アトリエのすぐ近くにある商店のTシャツも描いていたりもしますしね。商店のご主人を描いたTシャツで、近所のおばあちゃんとかも着てますよ(笑)。ローカルの人に認められるのは嬉しいですね」↙︎
そんな、今では世界的なアーティストになった花井さんだが、鎌倉のクラフトビール「ヨロッコ・ビール」のラベルアートワークや、鎌倉のビアスタンド『VANAVASA』のキャラクター、逗子『surfers』の看板関係など、花井さんのアートワークには湘南エリアの各所でも出合うことができるのだ。これは同じ街に暮らす人間にとってはとても嬉しいことだ。
「地元の人の繋がりはずっと大切に思っています。アトリエのすぐ近くにある商店のTシャツも描いていたりもしますしね。商店のご主人を描いたTシャツで、近所のおばあちゃんとかも着てますよ(笑)。ローカルの人に認められるのは嬉しいですね」↙︎
逗子に移り住んで10年。通い続けている大好きなサーフポイントもアトリエから歩いていける距離にある。
「このアトリエは逗子の焼き鳥屋さんで飲んでいる時に出会った人が探してくれた、元は漁師小屋だった物件なんです。小坪エリアは好きなんです。海上がりにビールを飲むところがあったりして、この昔ながらの漁師町の雰囲気は、なかなかないですよね。逗子は個人経営の店が今も多いエリアだと思います。僕もそうですけど、支え合えば大きい力に属してなくても生きていけるっていうか、個人で仕事をしている人が生活しやすいエリアなのかもしれません。この街を選んでよかったなと思います」
「このアトリエは逗子の焼き鳥屋さんで飲んでいる時に出会った人が探してくれた、元は漁師小屋だった物件なんです。小坪エリアは好きなんです。海上がりにビールを飲むところがあったりして、この昔ながらの漁師町の雰囲気は、なかなかないですよね。逗子は個人経営の店が今も多いエリアだと思います。僕もそうですけど、支え合えば大きい力に属してなくても生きていけるっていうか、個人で仕事をしている人が生活しやすいエリアなのかもしれません。この街を選んでよかったなと思います」
THE PADDLER PROFILE
花井祐介
1978年、神奈川県生まれ。2005年よりカリフォルニアのロングビーチにある「The Surf Gallery」にて作品の展示を開始。翌年より同ギャラリー主催のアートショー「The Happening」に参加し、ニューヨーク、シドニー、東京、ロンドン、パリで作品を発表。2017年には作品集『Ordinary People』をリリース。現在、上海のPowerlong Museumにて個展「FACING THE CURRENT」を開催中(2/23まで)。