THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 028 Mr. Yuichi“PANCHO”Ando 株式会社 安藤商店 代表取締役 安藤佑一さん|辻堂

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo: Yumi Saito  Text: Takuro Watanabe

INPUT
「家への帰り道で『エルマンボ』に出会ったんです。その出会いが衝撃でしたね」

辻堂の夜では外すことのできない店「バルパンチョ」。一度聞いたら忘れることのない店名。でも、印象深いのは店名だけじゃない。「バルパンチョ」の魅力は、店に入った時の「あ、楽しい時間になりそうだな」という空気感なのだ。カウンターについたその瞬間に、もう楽しくおいしい時間が始まる。

味も悪くないし、雰囲気も悪くない、でも印象に残らない。そんな、どこか似たような店が多い中で、個性が立ち、誰がやっているのかが一目でわかる店。そんな店をつくっているのがパンチョさんこと安藤佑一さんだ。

「ずっと人と関わる仕事がしたいと思っていて、小さな店をやろうと思い、飲食の世界で経験を積んできました」

そう聞くと、学校卒業後に飲食店勤めを経てスッと独立、と思うかもしれないが、パンチョさんのヒストリーはそんなに単純なものではない。

地元は宇都宮。中学卒業後に肉体労働系を中心に様々な職を経て、19歳の時に車の塗装業で独立。その後、一度見てみたかったというアメリカへと渡る。ロサンゼルスのパサデナだ。学生ビザで入国するが、学校へは授業料だけ払って行かずに、スリフトショップで見つけた古着やスニーカーなど、売れそうなものを見つけてはそれをヤフオクに出して、日々の生計を立てていた。

「成功する人たちを見てみたかったんですけど、行ってみたらそんなに魅力的じゃなかった」

ということで帰国したのだが、当時の日本はバリ雑貨ブーム。それならと、今度はバリ島に渡り、雑貨を買い漁って日本で店を開こうと思ったのだが、当時のパンチョさんに資金を貸してくれる銀行などはなく、店は断念。フリーマーケットなどで雑貨を販売するも稼げることもなく、蓄えをすべて使い果たした。そこで、東京に出ることを決心し、工場などで働きに働いて、お金を貯めて東京へ。ここまでで25歳。

そこから、「ゼスト・キャンティーナ」や「カフェ ラ・ボエム」などの人気店舗を増やし続け、当時の外食産業で勢いの最中にあった(株)グローバルダイニングに職を得た。

「はじめは西麻布の『ゼスト・キャンティーナ』です。大きなグループでしたね。でも、いつか自分でやるのは小さい店だと決めていました。そんな時、波乗りと好きな彫り師がいたこともあって湘南にもよく来ていたんですけど、ある日、先輩が『隣、空いてるよ』って教えてくれた茅ヶ崎の海の真ん前の部屋をすぐに借りて住みだしました。そして、家への帰り道で『エルマンボ』に出会ったんです。その出会いが衝撃でしたね。その雰囲気と活気。ワインを短パン、ビーサンで飲んでいて、『ああ、こういう飲み方でいいんだ』とか。大箱の運営しか知らなかった自分の中の価値感が変わりましたね」

自分がやりたかった店の形に近かった茅ヶ崎の「エルマンボ」とそのオーナー新明氏との出会いがあり、ここで働き始める。3年を「エルマンボ」で過ごし、湘南という土地にも馴染んでいった後、2011年に辻堂に自身の店を立ち上げることとなった。「バルパンチョ」はすぐに町の人たちが集まる人気店になった。そして、店が軌道に乗ってくると、新店舗の構想を練るようになったという。

「その頃、日本各地にクラフトビール次々に出てき始めていたんです。おいしいビールが増えておもしろかった。そこで、日本のクラフトビールだけを置く店をやろうと思ったんです。そうすれば日本の生産者も応援できますしね」

こうして同じ辻堂(現店舗は茅ヶ崎)にオープンしたのが「ゴールデンバブ」。こちらもオープン以来、店には毎日あふれるほどに客がやって来た。だが、安い価格帯だけに、店にはあまり残らない。そんな理由と、スタッフの皆がもっと楽しんでくれないと彼らが離れていってしまうのではないか、という思いから、パンチョさんは新たな展開を考えるようになる。↙︎

OUTPUT
「手間暇かけてやることで、僕らなりのスタイルができるんだと信じています」

「仕事はいつも遊びの延長でありたいんです。いつも楽しくなければいけないと思っています。先のことを考えた時に、10年後に店を6~7店舗持っている、それも一つの道。もう一つは、今の店舗を守って仕事を掘り続けるというやり方がありました。僕は後者を選びました。それで、スタッフ全員一致でビール造りをやってみようということになったんです」

2016年にビール醸造所「バーバリックワークス」を茅ヶ崎にてスタート。湘南エリアには多くの個性的なクラフトビールがあるのだが、パンチョさんたちのビールも、数え切れないほどのこだわりでできている。

「“バーバリック(Barbaric)”って、 野蛮とか原始的っていう意味の言葉なんです。僕らのビール造りは、近代技術の中で、どれだけ手間暇をかけられるか、どれだけ原始的な方法を取れるかだと思っています。例えば原料の一つであるホップで言えば、世界中で使われているのは粉砕して圧縮をかけたものなんですが、これに不自然を感じていて、僕らは生のホップを手もみするんです。こうして造ると、ビールは優しい味になります。発泡も炭酸ガスを注入するのだけではなくて、シャンパンの瓶内発泡みたいな作業を樽内で行うんです。そうすると泡がムースのようになります。細かく、やわらかくなる。そんな面倒くさいやり方が生むもの、それがおいしさだと思うんです。ワインを作る人がやっていることは農業で、愛情をかけて育ててきたブドウを『どうやって自然な形で味にするか』というものだと思うんですが、ほとんどのビール生産者は『どうやってその味を作ろうか』というように入り口が違うんです。そもそも一緒にはできないんですけど、ワインづくりの人が思っているようなことに近づきたいという思いがあります。手間暇かけてやることで、僕らなりのスタイルができるんだと信じています」

酒と料理を提供する長いキャリアを経て、今度は酒そのものを作るという楽しみを見つけたパンチョさん。ビール造りへの思いを語ってくれる時は本当に楽しそうだ。

「バーバリックワークス」のビールは、定番こそあるものの、その味は常に少しずつ変化をしている。その中でも、例えばフルーツビールの副原料になるユズや梅などは、近隣で採れたものを使用するなど、本当の意味での“地ビール”造りもしているといえる。↙︎
「まだ実験段階ですけど、酵母もこの土地にある野生酵母でやりたいんです。近所の干し柿の酵母を使ったビールを造っています。主原料であるモルトやホップについても、土地のものを使うのが理想ですね」

「バーバリックワークス」がもしも茅ヶ崎ではない土地にあったとしたら、その味はまた別のものになるのだろう。ワイン生産者がよく口にする「テロワール」という言葉があるが、それは土地の気候や土壌のことを指し、ワインはその土地そのものの味が表現されるいうことだが、パンチョさんが目指すところはそこにあるようだ。「バーバリックワークス」のビールはほかのどこでもない、茅ヶ崎の味。

茅ヶ崎に暮らして12年。4年前からは、実行委員として関わり、湘南エリアの食の魅力を体感することができるイベント「GARDEN FESTIVAL」(辻堂海浜公園にて年1回開催)の運営にも携わる。土地とのつながりがまた別の形になって増えてきている。

「湘南には野菜の生産者によるおいしい野菜もあるし、自然もある。東京にも近いからいろんな人たちが密集できる場所ですよね。おもしろい人はまだまだ増えると思いますよ。湘南地域のクラフトビール文化をもっと活性化したいですね」

パンチョさんが店や醸造所を巨大化することはちょっと考えられないが、ビール造りの深度も、土地とのつながりももっと深くなっていくだろう。「バルパンチョ」「ゴールデンバブ」「バーバリックワークス」の3つからはいつも新たなアクションが生まれ続けている。

「僕らが何かしたというよりは、反応してくれる人たちがいるということなんです。湘南にはそれを受け入れてくれる土壌があるんです。そんな素敵な人が暮らしているエリアなんだと思います」

とは言うが、やはりそこはおもしろくする人がいてこそのこと。パンチョさんの店に入った瞬間に感じる“楽しそうだな”、という空気感は、目の前で話してくれるパンチョさん自身からも、たくさん溢れていた。

THE PADDLER PROFILE

安藤佑一

株式会社 安藤商店 代表取締役。辻堂のスペインバル「バルパンチョ」、茅ヶ崎のビアパブ「ゴールデンバブ」とビール醸造所「バーバリックワークス」のオーナーとして、湘南の食文化を活性化させている。

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