THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 011 Mr.Yohei Sakama 坂間 洋平さん
「今古今」代表|大磯

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo:Yuko Saito  Text:Paddler

INPUT
「大磯に越して決めた約束。1年間、周りからの頼みごとは断らない」

信頼関係を築くには、まずは相手を信じること

今、大磯で人気を呼んでいる食堂がある。その名は「日日(にちにち)食堂」。店内は木の温もりに包まれ、窓から注ぐやわらかな日差しに満たされている。流れる時間はのんびりゆるやか。思わず長居したくなる心地いい空間だ。厨房からは、出汁の香りが漂ってくる。調理台には、新鮮な青魚や、つややかな野菜が並んでいる。メニューは家庭料理の定食が中心。せっかくだからと取材スタッフもいただくことに。うむ、うまい。思わずほほがゆるむ。決して華美ではないが、食材の滋味にあふれる体が喜ぶやさしい味だ。

それにしても不思議な店だ。食堂の奥には広々としたギャラリースペースが広がっている。片隅の工房では漆職人が黙々と手を動かしている。作家の手仕事による、うつわやクラフトが、そこかしこに。さまざまな世界が、一つのフロアに共存しているのだ。

「正確に言うと、このスペース全体が『今古今(こんここん)』です。僕らは暮らしのアトリエと呼んでいるんですが、日日食堂はその一つです」と、説明するのは代表の坂間洋平さんだ。「今古今」の立ち上げからかかわってきた、生みの親のひとりだ。

坂間さんのもう一つの本業は整体師。6年前、同じく整体師の奥さん、暢子さんとともに、長年暮らした京都から大磯に移り住み整体所を開いた。

関西暮らしが長い坂間さんは、湘南はもちろん大磯にはなじみがなかった。平塚に実家を持つ暢子さんが「昔から地元の人にとって、大磯は憧れなのよ」と言われても、ピンとこなかった。

「ですが、大磯に通ううちに、すごく惹かれるようになりました。オシャレとかは感じませんでしたが、何よりも惹かれたのは人ですね。細い路地を散歩しているだけで、通りすがりの住人と、どんどん自然と会話が生まれる。それが僕にはすごく心地よかった」

縁あって、お気に入りの古民家も見つかり、自宅と整体所を兼ねて移り住んだ。湘南に限らず、他の土地へ移住して問題となるのが、地元の住民との軋轢(あつれき)だ。価値観もライフスタイルも異なる者が、コミュニティに溶け込むのはひと筋縄ではいかない。そこで、坂間さんと暢子さんはあるルールを決めた。

「1年目は、地元の人たちから頼まれごとをされたら断らない。1年経って、それが自分たちにとって不都合なら、修正しよう」

信頼関係を築くためには、自分たちから相手を信じなければ。そこに損得感情は不要というわけだ。

移住して間もなく、近所のおじいさんから声をかけられた。定置網の漁を手伝わないかという話だった。漁師の高齢化が進み人手が足りないというのだ。深夜の2時に起床、漁のためのカッパやクーラーボックスは自前で用意しなければならない。そして、賃金は発生しないまったくのボランティア……。

「正直、何て条件が悪いんだろうと思ったんです。だけど、断らないというルールがあったので、『やらせて下さい』と」

深夜に起きて大磯港に向かう日々が始まった。無論漁業は未経験、慣れない環境で深夜の労働。その大変さは想像するまでもないが、やがて、この重労働は坂間さんの暮らしに変化をもたらす。仕事はボランティアだったが、お礼として魚を分けてもらえたのだ。豊漁の日には、クーラーボックスいっぱいということも。自分たちだけでは食べ切れないから、近所や知り合いにおすそ分けに行く。すると、お礼に野菜などをもらうことも。会話が弾んで、やがてお互いの家に食事に呼んだり呼ばれたり……。自然と、坂間さん夫婦は地元の輪に溶け込んでいった。

「おじいさんは、僕らが周りに打ち解けるには、漁の手伝いがいいと思って誘ってくれたんです。大磯の人たちはオープンで、すごく手を差し伸べてくれます。ですが、やはり最初は人を見ると思うんです。もし話をもらった時に、『僕らにいいことはあるんですか?』と交渉したら、『大変だよね。いいよ』と、そこで終わっていたと思います」

「それまで、人と競って誰よりももっと利を得たいという生き方をして、失敗してきてた」と過去を振り返る坂間さん。大磯で新しい人生を歩み出した。↙︎

OUTPUT
「地元の人たちの暮らしが、少しでも丁寧で豊かになる助けになれば」

暮らすように働くことができる店をつくりたい

「今古今」は、建物の所有者が地域に貢献できるようなスペースとして役立ててほしいという声に、賛同した有志によって始まった。いろんな理想を持つ20、30人の地元民、その中のひとりが、坂間さんだった。初めは自然再生エネルギーや環境問題を訴える考える集まりの場として、スタートしたがやがて壁にぶつかる。

「そういう活動も必要なんですが、どうしても単発になってしまいます。それだけだと、この広いスペースを運営していくことはできないんです。かかわっていく人間も固定化された少人数になってしまい……」

当初の地域に貢献するという理念と違うのでは? という疑念とともに、資金面でも行き詰まった。

「立ち上げのメンバーは、大工さんやイラストレーター、住職やカメラマンなど、異分野のプロフェッショナルがいました。これは絶対にいいものが作れるだろうと、みんながお互いの意見を尊重していたんです。しかし、それだけのプロが集まっても思うようなものがつくれなかったんです」

数カ月で資金が尽きるという現実に直面。ようやくみんなが自分事として「今古今」を考えるようになった。状況を打開するために、必死で知恵を出し合って生まれたのが、「日日食堂」だった。

「一番最初は、料理が1種類しかなくて、これは長くもたないだろうなと内心思っていたんです。だけど、幸いお客さんにも来ていただけて、僕らも成長できて何とかやっていけるようになりました」

立ち上げ時の反省を踏まえて、坂間さんは食堂の現場のスタッフの間には、思うことは包み隠さず言える空気をつくった。自由な雰囲気の中で、真剣に料理に向き合う。働かされているのではない、あくまでも働いているのだ。そんな真摯な姿勢がひしひしと伝わってくる。

「働くことが自分の成長につながり、それが楽しいと思っているからではないでしょうか。日日食堂では、手間と時間がかかっても、昔ながらの『方法』で料理しています。効率を追い求める今の社会には逆行していますが、いろいろ学ぶことがあります。時にはみんなで生産者を訪れ、話を聞くことも。働きながらいろいろな発見があるんです」

なるほど、厨房に目をやると電化製品が極端に少ない。昔ながらの料理にこだわり、ソースやマヨネーズさえも手作りすると言う。調理はもちろんだが下ごしらえに、より手間をかける。魚にしても野菜にしても生産者の顔がわかるから、できるだけおいしく調理したい。 

「毎日いる仕事場だからこそ、家にいるように落ち着いて仕事をしたい。暮らすように働くことができる店が理想ですね」
 
「日日食堂の店名の由来は、『日日新又日新(ひびにあらたにしてまたひにあらたなり)』という言葉です。同じ日というのはないから、毎日一生懸命頑張って、昨日より今日、今日より明日を、少しずつよくしていきましょうという意味です。僕はその考え方がすごく好きなんです」と、語る坂間さん。

「今後、ここが大磯の人たちの日常の一部となって、暮らしを丁寧にしたり豊かにする助けになればいいなと思っています」

坂間さんは、大磯の“明日”を見据えている。

THE PADDLER PROFILE

坂間 洋平

1977年生まれ、滋賀県出身。35歳で大磯に移住、夫婦で「さかま整体所」を開院。「昔からの手仕事や知恵を取り入れて暮らしを豊かにすること」を、コンセプトにしたスペース「今古今」の立ち上げに携わる。その後、「日日食堂」をオープン。現在は代表理事として運営全般を主導する。