THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介
THE PADDLER | 012
Mr.Talo Yamaguchi
山口 太郎さん
北欧家具「talo」オーナー|伊勢原
INPUT
「あの椅子を部屋に置けば自分もおしゃれになれるかな? はじめはそんな動機でした」
27歳のヘルシンキ
「taloに新しいコンテナが届いたらしいよ」
こんな噂話をいつからか聞くようになった。ハンス・J・ウェグナー、アルヴァ・アアルト、イルマリ・タピオヴァーラ……。伊勢原市にある北欧家具を扱うショップ「talo」が、フィンランドやデンマークで買い付けをした家具がヘルシンキからやって来る。北欧家具が好きな人には胸が躍るニュースなのだ。
「初めての買い付けは40万円分。当時は何の知識もなかったのですが、ヘルシンキのショップで家具を買いましたね。でも、日本に帰っていくら待っても商品が届かなかったんです」
「talo」のオーナーでバイヤーでもある山口太郎さんが、初めて買い付けをしたのは27歳の時。この時に買った家具が一向に届かないので、悔しくてもう一度ヘルシンキに飛んだそうだ。
「はじめは殴ってやろう、ぐらいの気持ちだったんですけど、その店に入ったら『また来たのか、よく来たなあ!』って喜ばれて。僕も調子がいいから『おお、また買いに来たよ!』なんてことに。それで、また100万円分ぐらいの家具を買ってしまいました」
だが、その家具が今度も届かなかった。途方に暮れたまま10か月ぐらい過ごしたある日、突然送られてきたのだそうだ。しかも、おまけ付きで。
当時、山口さんの買い付けの知識はまったくゼロ。ファッション雑誌に出てくる“おしゃれな”クリエイター愛用の家具などを、ヘルシンキで見つけては買い付けていたそうだ。
「あの椅子を部屋に置けば自分もおしゃれになれるかな? はじめはそれぐらいの動機でしたよ。それで当時の職場だったリサイクルショップの2階にスペースをもらって商品を置いてみると、それこそ東京のおしゃれな人達にすぐに売れたんですよ。なにせ買った値段で売ってましたからね」
当時は、渡航費も運送費も乗せずに買い付け価格そのままで売っていたそうだ。それでも、すぐに売れたという喜びと自信もあって、家具のバイヤーをやっていくことに決めたのだが、商売というよりは、“家具を売って次もヨーロッパに行く”という行為が何よりも楽しかったのだという。
「それが3回、4回と続いたというわけですね。最初にトラブルのあったインテリア・ショップの彼、ユッカともずっと付き合いがあるんです。ペテン師みたいだけど(笑)、ダントツにセンスが良いんです。彼もそうだし、フィンランドやデンマークで出会った人たちに会えなくなる、ということが考えられなくなったんです。初めの10年は商売をしたい、家具が好きだ、というよりは、“彼らとまた会いたい”が第一の理由でしたね」
始まりは流行への憧れ、そして原動力は人との繋がり。初めの頃は決して家具に対する真摯な姿勢があった訳ではなかった。それでも、ヨーロッパ通いを続けているうちに家具を見る目も肥え、知識も増えていく。そして37歳の時にこの仕事一本で生きていくという覚悟をし、「talo」の屋号を掲げることになった。↙︎
「taloに新しいコンテナが届いたらしいよ」
こんな噂話をいつからか聞くようになった。ハンス・J・ウェグナー、アルヴァ・アアルト、イルマリ・タピオヴァーラ……。伊勢原市にある北欧家具を扱うショップ「talo」が、フィンランドやデンマークで買い付けをした家具がヘルシンキからやって来る。北欧家具が好きな人には胸が躍るニュースなのだ。
「初めての買い付けは40万円分。当時は何の知識もなかったのですが、ヘルシンキのショップで家具を買いましたね。でも、日本に帰っていくら待っても商品が届かなかったんです」
「talo」のオーナーでバイヤーでもある山口太郎さんが、初めて買い付けをしたのは27歳の時。この時に買った家具が一向に届かないので、悔しくてもう一度ヘルシンキに飛んだそうだ。
「はじめは殴ってやろう、ぐらいの気持ちだったんですけど、その店に入ったら『また来たのか、よく来たなあ!』って喜ばれて。僕も調子がいいから『おお、また買いに来たよ!』なんてことに。それで、また100万円分ぐらいの家具を買ってしまいました」
だが、その家具が今度も届かなかった。途方に暮れたまま10か月ぐらい過ごしたある日、突然送られてきたのだそうだ。しかも、おまけ付きで。
当時、山口さんの買い付けの知識はまったくゼロ。ファッション雑誌に出てくる“おしゃれな”クリエイター愛用の家具などを、ヘルシンキで見つけては買い付けていたそうだ。
「あの椅子を部屋に置けば自分もおしゃれになれるかな? はじめはそれぐらいの動機でしたよ。それで当時の職場だったリサイクルショップの2階にスペースをもらって商品を置いてみると、それこそ東京のおしゃれな人達にすぐに売れたんですよ。なにせ買った値段で売ってましたからね」
当時は、渡航費も運送費も乗せずに買い付け価格そのままで売っていたそうだ。それでも、すぐに売れたという喜びと自信もあって、家具のバイヤーをやっていくことに決めたのだが、商売というよりは、“家具を売って次もヨーロッパに行く”という行為が何よりも楽しかったのだという。
「それが3回、4回と続いたというわけですね。最初にトラブルのあったインテリア・ショップの彼、ユッカともずっと付き合いがあるんです。ペテン師みたいだけど(笑)、ダントツにセンスが良いんです。彼もそうだし、フィンランドやデンマークで出会った人たちに会えなくなる、ということが考えられなくなったんです。初めの10年は商売をしたい、家具が好きだ、というよりは、“彼らとまた会いたい”が第一の理由でしたね」
始まりは流行への憧れ、そして原動力は人との繋がり。初めの頃は決して家具に対する真摯な姿勢があった訳ではなかった。それでも、ヨーロッパ通いを続けているうちに家具を見る目も肥え、知識も増えていく。そして37歳の時にこの仕事一本で生きていくという覚悟をし、「talo」の屋号を掲げることになった。↙︎
OUTPUT
「湘南という看板を背負って、 東京を客観的に見ているのが一番心地いい」
それにしても、山口さんは若い時の少し恥ずかしい経験や失敗談でも、なんでも包み隠さずに話してくれる。それは山口さんの仕事に対する姿勢でもあることが良くわかる。
200坪ある「talo」の店内に入ると、目の前にも頭上にも、とにかく圧倒的な数の家具が並ぶ。商品が並ぶスペースを奥に進むといわゆるバックヤードになるわけだが、このスペースも客は自由に見学をすることができる。そこには、コンテナから出されたばかりのような、クリーニング前の家具やパーツ、ソファの張り地がストックされ、スタッフがリペア作業をする様子も見ることができるのだ。
「スタッフにはいつも、手元もしっかり見てもらいなさいと言っているんです。それが信頼に繋がりますからね」
そして、もう一つ、「talo」ならではの個性を象徴するレンタルスペースの存在がある。ここでは購入した家具に不具合がでた際に、購入者が自ら修理や塗装などを自由にできるよう、場所を解放している。スタッフのアドバイスも受けられ、道具も無料で借りられるのだ。
「僕たちの目的は、買ってもらうこと自体にあるのではなくて、家具とどう長く付き合っていくのかをわかっていただく、というのが一番のポイント。でも自分で直せないと付き合えないんで、それはご自身でやってください、というのが大きなベクトルとしてあるんです。そのためには、僕らは何が提供できるかというのを常に考えています」
店で選んで物を買う。多くのショップと客の関係はそこまでだろう。でも、「talo」は決してそれでは終わらせない。北欧の家庭で長い時間使われてきた家具が、山口さんたちの目と手を介して日本に届き、手直しされて、購入者の家で使われる。家具に流れるストーリー。様々な人の思いが入っているからこそ、新品の家具にはない魅力があるのだ。
何よりも人との繋がりを大切にしてここまできた山口さんの姿勢は、ショップにも商品にもにじみ出ている。
これからも奥湘南で
伊勢原駅からバスに乗っておよそ10分。けして便利な場所とは言えないところに「talo」はあるわけだが、湘南の人はもちろん、東京をはじめ遠方からも客が絶えることはない。
「伊勢原や秦野は奥湘南ですよね。湘南は海のイメージがあると思いますが、僕らは山のカルチャー。山と川で育ってきました」
秦野で生まれ育った山口さん。務めていたリサイクルショップも厚木にあり、この奥湘南エリアでずっと暮らし、商売をしてきた。
「東京にオフィスを持ったこともあるんです。でも、すべての仕事をこっちでできるんだと気づいてしまいました。この距離感がちょうどいいんだと思います。東京にいると、何が正しいのかがわからなくなってしまう時があります。それが湘南にいるとよくわかるんです。湘南の立ち位置って素晴らしいと思うんです」
日本における物事の動きの中心は、確かに東京にある。でも、その大きな渦に巻き込まれてしまっている人は多いのではないだろうか。山口さんはこの20年近くヨーロッパに通い、日本そのものを引いて見る視点を得た。そんな中で、東京ではなく湘南に拠点を持つことの大きな意味も見出しているのだ。
「正しいものを見極めることができる距離感、これが重要なんだと思います。この場所じゃなきゃいけないんです。自分は生まれた土地でずっと生きていきたいといつも思っていて、これからもずっとこの場所でやっていきますよ。湘南っていう看板を背負って、東京を客観的に見ているっていうのが一番心地いいですね」
200坪ある「talo」の店内に入ると、目の前にも頭上にも、とにかく圧倒的な数の家具が並ぶ。商品が並ぶスペースを奥に進むといわゆるバックヤードになるわけだが、このスペースも客は自由に見学をすることができる。そこには、コンテナから出されたばかりのような、クリーニング前の家具やパーツ、ソファの張り地がストックされ、スタッフがリペア作業をする様子も見ることができるのだ。
「スタッフにはいつも、手元もしっかり見てもらいなさいと言っているんです。それが信頼に繋がりますからね」
そして、もう一つ、「talo」ならではの個性を象徴するレンタルスペースの存在がある。ここでは購入した家具に不具合がでた際に、購入者が自ら修理や塗装などを自由にできるよう、場所を解放している。スタッフのアドバイスも受けられ、道具も無料で借りられるのだ。
「僕たちの目的は、買ってもらうこと自体にあるのではなくて、家具とどう長く付き合っていくのかをわかっていただく、というのが一番のポイント。でも自分で直せないと付き合えないんで、それはご自身でやってください、というのが大きなベクトルとしてあるんです。そのためには、僕らは何が提供できるかというのを常に考えています」
店で選んで物を買う。多くのショップと客の関係はそこまでだろう。でも、「talo」は決してそれでは終わらせない。北欧の家庭で長い時間使われてきた家具が、山口さんたちの目と手を介して日本に届き、手直しされて、購入者の家で使われる。家具に流れるストーリー。様々な人の思いが入っているからこそ、新品の家具にはない魅力があるのだ。
何よりも人との繋がりを大切にしてここまできた山口さんの姿勢は、ショップにも商品にもにじみ出ている。
これからも奥湘南で
伊勢原駅からバスに乗っておよそ10分。けして便利な場所とは言えないところに「talo」はあるわけだが、湘南の人はもちろん、東京をはじめ遠方からも客が絶えることはない。
「伊勢原や秦野は奥湘南ですよね。湘南は海のイメージがあると思いますが、僕らは山のカルチャー。山と川で育ってきました」
秦野で生まれ育った山口さん。務めていたリサイクルショップも厚木にあり、この奥湘南エリアでずっと暮らし、商売をしてきた。
「東京にオフィスを持ったこともあるんです。でも、すべての仕事をこっちでできるんだと気づいてしまいました。この距離感がちょうどいいんだと思います。東京にいると、何が正しいのかがわからなくなってしまう時があります。それが湘南にいるとよくわかるんです。湘南の立ち位置って素晴らしいと思うんです」
日本における物事の動きの中心は、確かに東京にある。でも、その大きな渦に巻き込まれてしまっている人は多いのではないだろうか。山口さんはこの20年近くヨーロッパに通い、日本そのものを引いて見る視点を得た。そんな中で、東京ではなく湘南に拠点を持つことの大きな意味も見出しているのだ。
「正しいものを見極めることができる距離感、これが重要なんだと思います。この場所じゃなきゃいけないんです。自分は生まれた土地でずっと生きていきたいといつも思っていて、これからもずっとこの場所でやっていきますよ。湘南っていう看板を背負って、東京を客観的に見ているっていうのが一番心地いいですね」
THE PADDLER PROFILE
山口 太郎
北欧家具talo主宰。1973年生まれ。伊勢原市在住。27歳の時にフィンランド・ヘルシンキで初めて出会った北欧家具に携わり、今では買い付けのために、1年の約半分を北欧で過ごす。家具を通じて自然との共生、心の幸せを大切にする北欧のマインドを伝えている。
「City Guide」にてショップを紹介中。