THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介
THE PADDLER | 018 Mr.Takahiro Ishii 陶芸作家 石井隆寛さん|箱根
INPUT
「長い時間をかけて焼くことで、そこにいろいろな要素が入っていくんです。
時間をかけて焼いた陶器は、深さや奥ゆきがあるんですよ」
手作業による工芸品の中でも、道具や機械を媒介することなく、人の手のみを使って形を生み出す陶芸ほど、つくり手の内面や意識が反映されるものはないのではないだろうか。
だからこそ、陶器は眺めるだけでなく、手にとったときにこそ「ああ、これはいいな」と説明の難しい“何か”が伝わってくるのだ。手の平を伝わって感じられることは、表面的なことを言えば質感や重さということになるのだろうが、それだけではない“何か”というものは必ず存在する。
「長い時間をかけて焼くことで、そこにいろいろな要素が入っていくんです。時間をかけて焼いた陶器は、深さや奥ゆきがあるんですよ」
箱根に工房を構える陶芸作家・石井隆寛さんのベースにあるのは備前焼の技法。数ある日本の焼き物の中でも、釉薬を使わない古い様式でつくる「六古窯」と呼ばれる六つの産地があるのだが、そのうちの一つである岡山の備前焼は、中でも焼成時間が一番長い(窯によっては2週間も焼き続ける)ことも特徴なのだ。石井さんは大学卒業後、備前焼の名陶工である隠崎隆一氏に弟子入りをし、8年をかの地で過ごした。
「専攻は彫刻学科だったんですけど、必修科目授業である陶芸でろくろを初めてやったときに、まったくできなかったんです。それがすごく悔しくて、というのが陶芸との最初の出会いです」
思ったようなものができなかったからこそ強い印象となった陶芸に興味を持った。それから、陶芸に関する書物などを読みあさっていくうちに、陶芸の奥深さを知り、その世界に引き込まれていくこととなる。
「彫刻は面を落とす作業ですけど、陶芸って足すことができるんですよね。それまで、ものをつくるうえでそんな考えは持っていなかったから、新鮮でおもしろかったんです。そんなある日、“現代の陶芸作家100人”みたいな本をめくっていると、そこに師匠が載っていて、その作品が衝撃的で、この人に教えてもらいたいって思ったんです」
大学卒業後、備前市の隣に位置する瀬戸内市の長船町にある隠崎氏の窯の門を叩き、入門。風呂は五右衛門風呂の古民家で暮らしながらの修行生活が始まる。窯の定時は朝9時から夕方5時。アシスタントとしての時間が終わると、自分の作品をつくる時間となる。毎日つくっては壊す作業をし続けて、自分の形を探していったそうだ。
「先生は何も言わない方なんですけど、穴窯など薪の窯で焼く時に、スペースをつくって勉強させてくださるんです。窯の中で先生に自分の作品を渡すんですが、あまり形とかが良くないと、黙ってスッと戻されたりとかしましたね(笑)」
師匠の下で学びながら、自分の作品のあり方を模索した石井さんは、備前焼の技法を軸にしながら釉薬を合わせて表現する、
という道筋を修行時代の数年でつくり上げていく。
石井さんの作品を手にとると、それは確かに硬く動かない物なのだが「うごめき」みたいなものを感じる。「土をこね、釉薬をかけて焼いてできました」という、そんな単純なことでは説明できない世界があるのだ。
でも、それが見た目に難解なオブジェなどではなく、茶碗や花器や皿といった親しみやすい形状の中に収まっている。そんな「うごめき」は、見た目だけの印象よりも、手で触れることでこそ伝わってくる。
「複雑に絡み合ったものが好きなんです。シンプルな形なんだけど、ものすごく厚みがあって、ドロッとしているものとか。そういうものをつくろうというのは4年目ぐらいから考えていました」
こうして自分の方向性を見つけたのち、30歳を迎えた頃に独立となる。
アトリエを構える地は、はじめから西湘方面に決めていた。↙︎
だからこそ、陶器は眺めるだけでなく、手にとったときにこそ「ああ、これはいいな」と説明の難しい“何か”が伝わってくるのだ。手の平を伝わって感じられることは、表面的なことを言えば質感や重さということになるのだろうが、それだけではない“何か”というものは必ず存在する。
「長い時間をかけて焼くことで、そこにいろいろな要素が入っていくんです。時間をかけて焼いた陶器は、深さや奥ゆきがあるんですよ」
箱根に工房を構える陶芸作家・石井隆寛さんのベースにあるのは備前焼の技法。数ある日本の焼き物の中でも、釉薬を使わない古い様式でつくる「六古窯」と呼ばれる六つの産地があるのだが、そのうちの一つである岡山の備前焼は、中でも焼成時間が一番長い(窯によっては2週間も焼き続ける)ことも特徴なのだ。石井さんは大学卒業後、備前焼の名陶工である隠崎隆一氏に弟子入りをし、8年をかの地で過ごした。
「専攻は彫刻学科だったんですけど、必修科目授業である陶芸でろくろを初めてやったときに、まったくできなかったんです。それがすごく悔しくて、というのが陶芸との最初の出会いです」
思ったようなものができなかったからこそ強い印象となった陶芸に興味を持った。それから、陶芸に関する書物などを読みあさっていくうちに、陶芸の奥深さを知り、その世界に引き込まれていくこととなる。
「彫刻は面を落とす作業ですけど、陶芸って足すことができるんですよね。それまで、ものをつくるうえでそんな考えは持っていなかったから、新鮮でおもしろかったんです。そんなある日、“現代の陶芸作家100人”みたいな本をめくっていると、そこに師匠が載っていて、その作品が衝撃的で、この人に教えてもらいたいって思ったんです」
大学卒業後、備前市の隣に位置する瀬戸内市の長船町にある隠崎氏の窯の門を叩き、入門。風呂は五右衛門風呂の古民家で暮らしながらの修行生活が始まる。窯の定時は朝9時から夕方5時。アシスタントとしての時間が終わると、自分の作品をつくる時間となる。毎日つくっては壊す作業をし続けて、自分の形を探していったそうだ。
「先生は何も言わない方なんですけど、穴窯など薪の窯で焼く時に、スペースをつくって勉強させてくださるんです。窯の中で先生に自分の作品を渡すんですが、あまり形とかが良くないと、黙ってスッと戻されたりとかしましたね(笑)」
師匠の下で学びながら、自分の作品のあり方を模索した石井さんは、備前焼の技法を軸にしながら釉薬を合わせて表現する、
という道筋を修行時代の数年でつくり上げていく。
石井さんの作品を手にとると、それは確かに硬く動かない物なのだが「うごめき」みたいなものを感じる。「土をこね、釉薬をかけて焼いてできました」という、そんな単純なことでは説明できない世界があるのだ。
でも、それが見た目に難解なオブジェなどではなく、茶碗や花器や皿といった親しみやすい形状の中に収まっている。そんな「うごめき」は、見た目だけの印象よりも、手で触れることでこそ伝わってくる。
「複雑に絡み合ったものが好きなんです。シンプルな形なんだけど、ものすごく厚みがあって、ドロッとしているものとか。そういうものをつくろうというのは4年目ぐらいから考えていました」
こうして自分の方向性を見つけたのち、30歳を迎えた頃に独立となる。
アトリエを構える地は、はじめから西湘方面に決めていた。↙︎
OUTPUT
「自分の作品も、例えば何百年かした後に、どこかのおじさんがかけらでも拾って愛でてくれたら嬉しいな、と想像するんです」
石井さんのアトリエにはいくつものアンティークの置物や農具などがある。それらは中国や東南アジア、日本各地で彼が集めたものなのだが、古物商から買い求めたものもあれば、旅先で見つけ、もらってきたりしたものなど、出どころはさまざまだ。
「神社で使われなくなった梁の装飾とか、田舎道を通りかかって見つけた納屋にある古い農具とかに出会うとワクワクします。美術品じゃないものがいいんです。あとは古い道具が好きですね。それは子どもの頃に一緒に住んでいたじいちゃんの道具部屋が大好きだったことから始まる気がします。じいちゃんが瓶にためていた古いネジやクギとかも、たまらなく好きでしたね」
自分で修理した道具で何でも手作業でつくる人だったという祖父の存在は、石井さんの古いもの好きと、ものづくりの道へと向かう意識の芽生えに影響を与えているようだ。
「ここにある昔の道具や器のかけらとかって、人によってはゴミみたいなものですよね。でも、僕らみたいな人にとっては大切なものになるわけで、ものが残っている理由って必ずあるんです。焼き物は完全には自然に返らないわけですから、自分の作品も、例えば何百年かした後に、どこかのおじさんがかけらでも拾って愛でてくれたら嬉しいな、と想像するんです。その人が『何だか変な奴がいたんだなあ』
とか思ってくれたりしたら幸せですね」
自身の工房を構えて10年。それは「何百年後のかけら」の考えからすると、まだほんの入り口に過ぎないのだろう。先は長い。とはいえ、もう10年、でもある。独立してから10年、ずっと箱根の自然の中で作品をつくり続けている。
「山もあって海も近い、新幹線にも乗りやすいからから西日本にも行きやすい。箱根は良いですよ。ここで標高670メートルなんで、もう山の中腹なんですよね。だから山の四季をたくさん感じられます。自分は山歩きが好きなんですが、箱根からだと山梨や長野の山々へのアクセスもいいですしね」
生まれも育ちも東京・新大久保。そんな石井さんは小さな頃から自然への憧れが強かったそうだ。
箱根での日常は、制作の合間の気が向いた日には山に入り、自然を感じるのだという。アトリエの裏手に広がる山も、キノコを取るためにナタで藪(やぶ)を切り開いて道をつくったりもする。箱根ならではの四季の移ろいや目にする自然界にある造形や色は、作品づくりに影響しているに違いない。
「今ある自分のスタイルをもっと詰めていき、ひと目で自分の作品だと思われるものをつくり続けたいですね。自分のつくるものは趣向品で、生活になくてもいいもの、必要性がないものなんです。それを必要性があるところまで持っていかなきゃならないんです。そのためには相当な覚悟が必要で、時には自分自身も犠牲にしてものをつくっていかないと人には伝わらないと思うし、自分も納得できないんです」
そう話す石井さんの顔を見ていると、彼のものづくりへの強い信念と真摯な姿勢は、これから先も変わらないのだろうなと感じた。
長い歴史を持つ備前焼の技法を守り、そこに創造性を加えて、土地の自然を感じてつくる石井さんの焼き物。誰にも、過去にも似たものがない唯一の作品が、今日も箱根から生まれる。
「神社で使われなくなった梁の装飾とか、田舎道を通りかかって見つけた納屋にある古い農具とかに出会うとワクワクします。美術品じゃないものがいいんです。あとは古い道具が好きですね。それは子どもの頃に一緒に住んでいたじいちゃんの道具部屋が大好きだったことから始まる気がします。じいちゃんが瓶にためていた古いネジやクギとかも、たまらなく好きでしたね」
自分で修理した道具で何でも手作業でつくる人だったという祖父の存在は、石井さんの古いもの好きと、ものづくりの道へと向かう意識の芽生えに影響を与えているようだ。
「ここにある昔の道具や器のかけらとかって、人によってはゴミみたいなものですよね。でも、僕らみたいな人にとっては大切なものになるわけで、ものが残っている理由って必ずあるんです。焼き物は完全には自然に返らないわけですから、自分の作品も、例えば何百年かした後に、どこかのおじさんがかけらでも拾って愛でてくれたら嬉しいな、と想像するんです。その人が『何だか変な奴がいたんだなあ』
とか思ってくれたりしたら幸せですね」
自身の工房を構えて10年。それは「何百年後のかけら」の考えからすると、まだほんの入り口に過ぎないのだろう。先は長い。とはいえ、もう10年、でもある。独立してから10年、ずっと箱根の自然の中で作品をつくり続けている。
「山もあって海も近い、新幹線にも乗りやすいからから西日本にも行きやすい。箱根は良いですよ。ここで標高670メートルなんで、もう山の中腹なんですよね。だから山の四季をたくさん感じられます。自分は山歩きが好きなんですが、箱根からだと山梨や長野の山々へのアクセスもいいですしね」
生まれも育ちも東京・新大久保。そんな石井さんは小さな頃から自然への憧れが強かったそうだ。
箱根での日常は、制作の合間の気が向いた日には山に入り、自然を感じるのだという。アトリエの裏手に広がる山も、キノコを取るためにナタで藪(やぶ)を切り開いて道をつくったりもする。箱根ならではの四季の移ろいや目にする自然界にある造形や色は、作品づくりに影響しているに違いない。
「今ある自分のスタイルをもっと詰めていき、ひと目で自分の作品だと思われるものをつくり続けたいですね。自分のつくるものは趣向品で、生活になくてもいいもの、必要性がないものなんです。それを必要性があるところまで持っていかなきゃならないんです。そのためには相当な覚悟が必要で、時には自分自身も犠牲にしてものをつくっていかないと人には伝わらないと思うし、自分も納得できないんです」
そう話す石井さんの顔を見ていると、彼のものづくりへの強い信念と真摯な姿勢は、これから先も変わらないのだろうなと感じた。
長い歴史を持つ備前焼の技法を守り、そこに創造性を加えて、土地の自然を感じてつくる石井さんの焼き物。誰にも、過去にも似たものがない唯一の作品が、今日も箱根から生まれる。
THE PADDLER PROFILE
石井隆寛
陶芸作家。1977年東京生まれ。学生時代に陶芸と出会い、大学卒業後、備前焼の作家・隠崎隆一氏に師事する。2006年に独立し、箱根に自身のアトリエを構えて制作に励んでいる。