THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 034 Mr.Rai Shizuno 写真家 / CINEMA CARAVAN主宰 志津野 雷さん| 葉山

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo: Yumi Saito  Text: Takuro Watanabe

INPUT
「初日の開場前にお客さんが並んでいる光景を見たときは、仲間たちと抱き合って、泣いて喜びましたよ」

「きっかけはオレゴンの海岸で見た、とある風景だったんです。結婚式の会場だったんですけど、そこにはストライプ模様の大きなテントがあって、椅子がたくさん並んで、子どもたちが遊んでいてね。なんて美しい光景なんだ! と思ったんです」

今年、2019年に10周年を迎えた「逗子海岸映画祭」。毎年ゴールデンウィークの期間中のおよそ10日間だけ逗子海岸に現れ、開催期間が終わるといつも通りの海の風景となる、まるで幻のような空間だ。その「逗子海岸映画祭」をプロデュースする「CINEMA CARAVAN」の代表が、写真家の志津野雷さん。

「スタート当時は『海の映画館』という名でした。オレゴンで撮ったその写真を仲間たちに見せて、『こういうのをやりたいんだ』と共有したんです。1年目から開催期間は10日間。逗子駅前でビラ配りもしましたね。準備でボロボロになって迎えた初日の開場前にお客さんが並んでいる光景を見たときは、仲間たちと抱き合って、泣いて喜びましたよ」

初回は10日間で約2,000人を動員、それが現在では20倍近くの人が訪れるようになった。『海の映画館』時代から、雷さんの想いに共感した仲間たちの多くは、「CINEMA CARAVAN」として「逗子海岸映画祭」の運営のほか、「逗子海岸映画祭」の出張コンテンツ的に全国各地で行われるイベントのプロデュース、映像制作など、多岐に渡る活動で日本全国をともに旅をする仲間たちだ。

「逗子海岸映画祭」をスタートする8か月前に逗子海岸近くで小さな映画館「CINEMA AMIGO」を3人の仲間と立ち上げたのだが、この「CINEMA AMIGO」、そして「逗子海岸映画祭」というムーブメントをともにつくりだす仲間たちとの出会いが生まれた場があった。

それが、かつて葉山にあった「SORAYA」。海を望む高台に位置し、街の喧騒とは隔絶された世界で、自由で刺激的な夜を創り出す空間として、わずか2年弱ほどの営業期間ではあったが、湘南エリア2000年代初頭のカルチャー・スポットとして、いまだにその存在は語り継がれている。雷さんは、オープン間もない「SORAYA」に合流、クローズまでの時間を過ごした。

「多くの出会いがありましたね。『SORAYA』の存在を知ったのは撮影で長く過ごしていたインドから日本に帰る航空機の中。CAさんに渡された雑誌に『SORAYA』が載っていたんです。それで、空港から葉山に帰ると友人にライブがあるからって誘われて行った場所が『SORAYA』だったというわけです。で、その日から1年半いることに(笑)」

想いを共有できる仲間と出会うことで活動の幅は広がっていった。でも、そのすべては写真家としての自身の立ち位置があってのこと。雷さんは、写真家である父親の影響もあって、15歳の時からカメラに興味を持ち、アイルランドの高校に通った後に東京工芸大学に進学。卒業後はアシスタントを経て独立し、すぐに旅に出た。日本を出たり入ったりを繰り返し、写真を撮り続ける。こうして雷さんの活動の土台はつくられていった。

旅をテーマにした作品を発表する写真家は多い。テーマや視点はさまざまだか、写真作品として世に出していく。雷さんの旅はもちろん写真作品にもなるのだか、アウトプットの形がそれだけではなかった。↙︎

OUTPUT
「こんな最高の場所で自分の作品を流すことができて、自分は世界でも本当に恵まれた写真家だと思っています」

「旅をしてきて、どうしても写真だけでは伝えきれないものがあるんです。それをシェアしていく方法を探していました。それが映画祭の場なんです」

旅先で見たもの、感じたもの、得たもの、それを自分だけのものにするという発想は、どうやら雷さんの頭の中にはなかったようで、どうにかしてそれをシェアしたいという発想になるようだ。

「逗子海岸映画祭」は、野外映画館でもある。でもそれだけではなく、湘南エリアを中心にした作り手たちのプロダクトなどの買い物ができたり、地元や「CINEMA CARAVAN」の活動で出会った土地の食を楽しめて、SUPやヨガなど、逗子の土地を感じながら参加できるプログラムがあるなど、複合的なイベントになっている。雷さんの言葉を借りれば「五感で楽しむ」ことができる場だ。

そこに、雷さんの数ある旅の中で、特に大きな意味を持つことになったスペイン・バスク地方やインドネシア・ジョグジャカルタで出会った人間を始めとした仲間たちが世界中からやってきて、自分たちが暮らす土地の食や文化を逗子海岸で伝えている。

さらに「逗子海岸映画祭」は、定期的に日本各地の土地とコラボレーションしてイベントを行っているし、バスクやインドネシアに「逗子海岸映画祭」を運んだこともある。

「もっと外に外に、っていう時期もありました。映画祭をどうにかして外に出そうとしていたんです。でも、そうなると無理も出てくる。失敗もたくさんありました。そして、自分の想いが強すぎるのもあって、映画祭に関わる人間たちがみんな、肩を組んで同じ方向、同じ歩幅で向かわないとダメ、意見を合わせないとダメだと思っていた時期もありましたね」

雷さんは「シェア」と「共有」という言葉をよく口にする。それは、自分が旅で得た喜びや気づきをどうにかして共有したい、世界は楽しいことが溢れているんだということを伝えたいということなのだろう。

だが、熱量の多い雷さんの想いは、時に熱を帯びすぎてしまうこともあるようで、それゆえ人間関係の衝突など、問題が起きたことも珍しくはない。でも、その熱量やさまざまなものへの愛の強さが、雷さんの魅力であることも間違いない。↙︎
「今さら気づいたけど、前のめり過ぎてたっていうことですね(笑)。でも、この10年間、愛も憎しみも引っくるめて、いろんなことがあってここまできたけど、自分も含めてみんながやりたいこと、これから先のことも見えてきたんです。10年で『逗子海岸映画祭』が、自分たちにとっての大きな財産になりました。海外や日本の若い仲間も育ってきましたしね。じゃあ、この先どうするかといったら、僕はもっとパーソナルな方向に向かいたいと思っているんです」

写真家として雷さんが取り組んでいる大きなテーマに「水」、そして「人間の営み」がある。それらをもっと突き詰めて、迷いなく、こぼすことなく撮影できるように準備を進めてきた。この数年、山のエキスパート、海のエキスパートに教えを乞い、自分の可能性を高めてきた。

「もっともっとスキルアップしないといけませんが、準備は整ってきました。山の高いところから海の深いところまで、気温差、高低差の環境変化に対応でき、撮影をしたいと思ったあらゆるところに行けるようにトレーニングし、ロケハンとテストシューティングもだいぶこなしてきました。次はその世界を突き詰めていきたいですね」

「逗子海岸映画祭」が町の風物詩的存在となるまでの10年、それは写真家・志津野雷の成長の10年でもあった。3年前からは『Play with the Earth』として、自身の旅の記録を生演奏の音楽と合わせて表現する映像作品を映画祭最終日に上映し、反響を呼んでいる。今年の『Play with the Earth』上映前の挨拶の際、海岸に立てられた大きなスクリーンの前で雷さんは観客にこう語りかけた。

「こんな最高の場所で自分の作品を流すことができて、自分は世界でも本当に恵まれた写真家だと思っています」

その最高の場所は、誰かに与えられたものでもなければ、金で買ったものでもない。自身が手探りし、手づくりで仲間たちとつくり上げてきた舞台だ。

人は自分の手で世界を切り拓き、あらゆるものをつくり上げることができる。「逗子海岸映画祭」はそんなことにも改めて気づかせてくれる。そして、映画祭に足を運べば、直接的ではないかもしれないが、雷さんの熱と想いに触れることができる。その影響は、これから先、未来の逗子や彼が関係を持った土地で何かの形になって現れてくるのだろう。

THE PADDLER PROFILE

志津野 雷

写真家。「CINEMA CARAVAN」主宰。鎌倉生まれ葉山在住。自然の中に身を置くことを愛し、写真を通してその本質を探り、人とコミュニケーションをはかる旅を続ける。雑誌や広告撮影の世界を中心に活動。写真集に『ON THE WATER』がある。代表を務める「逗子海岸映画祭」が今年2019年に10周年を迎えた。

>>RAI SHIZUNO PHOTOGRAPHY
>>逗子海岸映画祭 オフィシャルサイト
>>CINEMA CARAVAN オフィシャルサイト
[朝日新聞DIGITAL内で連載中の旅エッセー]
>>「生きるレシピ」を探す旅 ―志津野雷―