THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 021 Mr.Kiyoshi Makabe 「湘南ベルマーレ」代表取締役会長 「湘南造園」取締役社長|平塚

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo: Koki Saito  Text: Paddler

INPUT
「半年の約束が20年。すべては生まれ故郷のために」

冬が間近に迫った10月27日、湘南のサッカー好きにとって、寒さを吹き飛ばすような熱いニュースが飛び込んできた。湘南ベルマーレが「YBCルヴァンカップ」で優勝を飾ったのだ。同大会は、「Jリーグ」や「天皇杯」と並ぶ日本のビッグタイトルの一つで、湘南ベルマーレが勝利を獲得したのは初めてのこと。選手や関係者はもちろん、サポーターが長年待ちわびた “日本一” だ。

だが、ひとりの男がいなければ、この栄誉も、いやチーム自体も存在していなかったかもしれない。Jリーグがスタートした翌年の1994年、前身のベルマーレ平塚が発足。中田英寿や呂比須ワグナーなど日本代表の主力を輩出するなど、リーグの中でも存在感を示していた。だが、1998年、親会社のフジタが経営危機に陥りスポンサーから撤退を表明、チームの行く末に大きな暗雲が立ち込めた。

チームが存続するか否か……。その窮地を救ったのが、現代表取締役会長の眞壁潔さんだ。きっかけは、知人の衆院議員・河野太郎さんからの一本の電話だった。

「ベルマーレのために力を貸して欲しい」

平塚商工会議所青年部に所属していたのでチームとの接点はあった。だが、サッカーは素人、もちろんクラブ経営などは未経験。

「やはり、次の世代のためにもつぶしてはいけないなと思いました。だから、開幕までの半年間という約束で手伝うことに決めました」

半年後、市民クラブ「湘南ベルマーレ」としてスタートすることになったが、周囲の声に押されて眞壁さんは役員に。これまた1年間という約束で、2004年には代表取締役社長に就任したが、役員会では次期社長を選ぶ動きはまったくなし。「負債も増え、自分が辞めたら降りるというスポンサーもいた」ので、続けることに。だが、チームの経営は大きな壁に突き当たってばかり。毎年、資金繰りに四苦八苦し、銀行から融資を受ける際には、自らが連帯保証人にさえなった。

湘南ベルマーレの年間予算はJ1クラブ平均の半分以下。チームの戦力が充実しても資金不足から主力選手を上位クラブに引き抜かれるなど、くやしい思いを味わってきた。だが、J1とJ2の昇格と降格を繰り返しながらも、チームはどうにか存続をしていった。しかし、メインスポンサーの不祥事という思わぬ出来事で、またもや大ピンチを迎える。

「『ベルマーレ、危ないらしいよ』という噂が流れていたけど、社員もあえて聞いてこない。あのころは、毎晩、明け方近くまで酒を飲んでいたけど酔えなかった。だけど、社員の前では笑っていた。みんなが心配するし、スポンサーも『ヤバいんじゃないか』と思うので」

「休日はない。仕事がない時が休日」と身を粉にして、チームのために尽くしてきた眞壁さん。何がそこまで駆り立てるのか?

「生まれも育ちも、住んでいるのも湘南。大事な生まれ故郷のためですから」

チームの再建を託されてから20年。眞壁さんはずっと無償で働いている。↙︎

OUTPUT
「おじいちゃんもおばあちゃんもハツラツとしている湘南に」

「湘南ベルマーレ」といえば、サッカー。だが、ビーチバレーやトライアスロン、フットサル、ラグビー、ビーチサッカーにサイクルロードなど、さまざまなスポーツのチームを運営している。2002年、「NPO法人 湘南ベルマーレスポーツクラブ」を設立。サッカーにとどまらないスポーツで湘南を振興させようとしている。

眞壁さんが頭に描いているのが、スペインの「FCバルセロナ」のようなクラブチームだ。サッカーの強豪として知られるが、12のスポーツチームを運営している。カンプ・ノウと呼ばれるホームスタジアムの周りには、体育館やアイスアリーナなどスポーツ施設が充実。一般市民にも開放され、プロの練習を見学したり、チームが使用していない時は自らも楽しむこともできる。老若男女がスポーツと身近に接した暮しを送り、そこからコミュニティの輪が広がっていく。

「湘南が日本で一番健康で、おじいちゃんもおばあちゃんも、ハツラツとしているようなエリアにしていきたい。そのためにベルマーレがある。『ほかのJリーグのチームとはちょっと違うね』と言われるようなオンリーワンになりたい。ほかのクラブからリスペクトされるようなね。強い弱いで言ったら、強い方がいいに決まっている。人気選手もいた方がいいに決まってる。だけど、それだけでなく地域の中で、いわゆる『ほかにない資産』になりたい」

1968年に「藤和不動産サッカー部」として産声を上げた「湘南ベルマーレ」は、今年で創立50周年を迎えた。この先、どこに進もうとしているのだろうか?

「今、チームは『たのしめてるか。』をスローガンに掲げている。楽しめてサッカーがやれなければ、死ぬほど練習はできないですよ。試合で負けても『俺たち精一杯できたじゃないか』と思えれば、積み上がった何か、楽しさが絶対あるはず。それが浸透した時に本当にチームは強くなると思っている。楽しめてるから努力ができる。楽しみたいから努力ができる、ということです」

「だからと言って、自分が実現するわけではないですよ。次の世代です。それは書いておいて下さい。『この人、死ぬまでやるのか』と思われる。無理、無理」と笑う眞壁さん。一番楽しめているのは、当の本人かもしれない。

ESSENCE FOR HIS LIFE

THE PADDLER PROFILE

眞壁潔

1962年平塚生まれ。湘南ベルマーレの代表取締役会長。2004年に湘南ベルマーレの代表取締役、2006年からは社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)理事も同時に務めて、現職に。家業の「湘南造園」を経営しながら、経営難に陥った湘南ベルマーレを再興した