THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 059 Mr. Akio Kichise 「ヨロッコビール」代表・ブルワー
吉瀬明生さん | 鎌倉

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo: Yumi Saito  Text: Takuro Watanabe Edit: Yu Tokunaga

INPUT
「クラフトビールに受けた衝撃は、音楽に受けた衝撃と似た感覚でしたね」

旅や出張で訪れた土地で人に会う時に自分の暮らす土地の土産を手渡し、相手の喜ぶ顔を見るとこちらまで嬉しくなってくる。鎌倉と逗子で暮らしてきた自分がヨロッコビールを手土産にするようになったのはいつからだろうか。受け取った相手が例外なく喜んでくれるし、自分も「これはうちの町のビールなんですよ」と少し自慢気に渡せることも気に入っている。

「アメリカのクラフトビールのカルチャーに『SUPPORT YOUR LOCAL BREWERY』というスローガンみたいなものがあって、ブルワリーやショップにはよくステッカーが貼られているのですが、クラフトビールにはそういう精神性があって、自分がすごく惹かれた要素なので、ヨロッコビールもローカルに根付いた存在になりたいと常に思っています。僕がヨロッコビールを始めたのは震災の後なんですけれど、あの時にあらゆることに対する意識の変化がありました。その中で大都市集中ではなくてローカルなものが地方に点在している方が豊かで、大手資本ではなく小さな個人商店がたくさんあることの方が豊かなんじゃないか、という意識が芽生えていたんです」

吉瀬明生さんがヨロッコビールを開業したのは2012年の9月。逗子の久木というエリアにある小さなスペースで、アメリカの個人ビール醸造家が使うような設備でスタートしたマイクロ・ブルワリーだった。↙︎
「最初はかなりDIYに近い感じでしたね。開業前の2年くらいは準備期間で、ビール会社の研修に行ったりもしましたが、インターネットで海外の情報を調べたりして、ほとんど独学でビール作りを学びました。とにかく、やりたい一心でスタートしたんです」

当時はまだ「クラフトビール」という言葉が一般的になる前の「地ビール」の時代。湘南エリアにクラフトビールと呼ばれるブルワリーはなかった。1994年にビール酒造法が改正になり、ビールの製造免許を取るのに必要な最低製造量が引き下げられたことにより日本各地で地ビールが生まれたが、高いクオリティのものは少なく値段が高いこともあり、そこまで定着せず徐々に低迷していった。ヨロッコビールが開業したのは地ビール人気の底辺の頃だが、吉瀬さんが影響を受けたのは、当然その「地ビール」ではなかった。↙︎
「クラフトビールとの出会いは、静岡の『ベアードビール』でした。沼津にあるタップルームで初めて飲んだのですが、衝撃を受けましたね。当時はいわゆる日本の大手のビール以外ではハイネケンとかコロナとかギネスとか、せいぜいそれくらいしか知らない状況でしたから。IPAとかポーターとかの名前も聞いたことなくて意味がわからないし、種類もたくさんあって新鮮で、とにかくクラフトビールという存在そのものに衝撃を受けたんですよ。音楽に衝撃を受けた時と似た感覚でしたね。初期衝動みたいな。ちょうどその頃、続けていた飲食業を辞めて職人になりたいなと漠然と考えていた頃だったんです。昼夜が入れ替わる生活も無茶苦茶だったし、一生続けられることを見つけたいと思い、踏み出そうとしていました。そんな時にクラフトビールと出会っちゃって、ズブズブと沼にハマっていったんですが、それは、小さな頃から何か物や道具、秘密基地のような場所を作ったりするのが好きだったことも関係しているのかもしれません」

そう話を聞いていると、まさに今、吉瀬さんがやっていることなのだと納得してしまった。美しく磨き上げられた醸造用タンクやさまざまな機材が並ぶブルワリーの内外には、吉瀬さんが好きなアーティストによるペインティングが施され、ある種の“男の夢”を実現化したようなワクワクする空間の中で日々素材と発酵に向き合い、自分が納得のいくビールを追求している。↙︎

OUTPUT
「サーフィンやスケートボードや音楽のように、ビールでもスタイルをつくっていきたいんです」

ヨロッコビールの魅力の一つに缶のラベルデザインをはじめとしたグラフィックの魅力がある。最初のロゴマークを手掛けたのは「生意気」のディヴィッド・デュバル。そして、花井祐介やカザマナオミといった湘南エリアにゆかりのあるアーティストのほか、これまで数々のアーティストやデザイナーがヨロッコビールのラベルを彩ってきた。

「ラベル作りは毎回楽しいですね。これまで100ぐらいは作っていると思いますけど、いつも受け取る人の心の壁を壊したいという意識があるんです。例えば、ものすごく伝統的なドイツのビールを再現したような味だったら、セオリー通りでいけば味の世界に忠実に寄せてクラシックなラベルデザインになるんだろうけど、逆にポップな感じでやったら面白そう、とか考えるのが好きですね。ラベルを見て「これはどんな味なんだろう?」って興味を持ってくれたらいいし、飲んでみてギャップに驚いてくれたり、もっと深いところに足を踏み入れたりしてくれたら嬉しい。それがラベルの役割だし、作り手の表現だと思うんです」

ワインのエチケットよりもビールのラベルのほうがデザインの自由度が高く感じるのは、ワインが土地の味そのものといえて農産物に近い存在であることに対し、クラフトビールは現代アートだという考えがあるそうだ。ビールはワインに比べて土地からもうワンクッションあるからこその自由があるのかもしれないと吉瀬さんは言う。
作り手がビールの味に加えてラベルデザインも含めてトータルで表現をしていく。このDIY精神を大切にしたマインドで表現されるのが、クラフトビールの大きな魅力だ。↙︎
「サーフィンやスケートボード、音楽でもスタイルってあるじゃないですか。ビールでも自分のスタイルを出したいし、つくっていきたい。だからこそ、自分のポリシーから反することはしたくないと思っています。その時々で世間で流行っているビールの種類があって、うちのお客さんから作って欲しいという要望があっても、それはうちのスタイルじゃないと思ったら作ることはありませんね」

クラフトビールの世界ではこの20年くらいマジョリティとなっている種類がIPA(インディアペールエール)で、多数のクラフトビールメーカーが主力に置いて製造しているのだという。だが、ヨロッコビールがメインで作っているのはIPAではなくラガーとセゾン。ラガーはドイツのスタイルでビールの王道的な製法で麦の味を全面に感じられるのが特徴。セゾンはベルギーのスタイルで、酵母の出す特徴を活かした味わい。地域のフルーツやハーブ等が使われることも多い。

「常に少し外れた場所にいたいなという気持ちがあります。天邪鬼なのかもしれませんけど、常にオルタナティブでありたいんです。開業した頃はアメリカから影響を受けていたから、うちもアメリカンなものが多かったんですけど、開業して3年目くらいからセゾンにハマって、その後ラガーにハマりました。自分が好きな味というのもあるけれど、それがうちの立ち位置やスタイルなのかなと思うようになったんです」↙︎
今年で10年目を迎えたヨロッコビール。逗子で始まり、2019年にはブルワリーを鎌倉に移転した。開業当時から比べると年間で約10倍の製造量になったという。スケールアップして需要に応えて収益を上げながらも、開業当時からずっと変わらないマインドを保ち、自分のスタイルを追求して作り続けている吉瀬さん。大手メーカーには絶対に真似のできないスタイルとローカリズム。ヨロッコビールを見ていると、ただビールを作っているのではなく、ビールを通してカルチャーを形成しているのだとよくわかった。

「作っているものはビールなんですけど、それにまつわる他のことも生み出しているのかなと思います。それが具体的に何なのかは自分自身も知りたいところなのですが、ビールを通して、そういうものも表現したいし伝えたいと思ってやっています。ビールの副原料となる柑橘やハーブなどの素材は近隣の人たちとの繋がりでいただいていますし、ショップや他のブルワリーとのコラボレーションや出店するイベントでの繋がりで何かが生まれたり、ビールをきっかけにして知らない世界に繋がったり、いろんな反応が生まれたりすることが楽しいんです。ビールづくりの奥深さは限りないですし、飽きることはありませんね。やっぱりビールの世界は沼なんだなと思います」

THE PADDLER PROFILE

吉瀬明生

1976年横浜生まれ。飲食店勤務を経て2010年に出会って衝撃を受けたクラフトビールの世界へ。2012年に逗子でヨロッコビールを開業。2019年に鎌倉に移転。湘南エリアのみならず全国にファンを持つビール作りを続ける。