PADDLER’S EYE 湘南の今を独自取材した特集と連載

FEATURE 大磯の左義長
1月13日(土)in 北浜海岸/大磯海水浴場

島崎藤村も惚れ込んだ
真冬でも熱い、大磯町の火祭り

Photos:Takaaki Koshiba  Text:Miku Kamiura

左義長は、いわゆる“どんど焼き”で知られる火祭りだ。1年の無病息災を祈願し、日本各地で1月15日前後の小正月に行われるが、大磯町のそれは、比類なき迫力と伝統的風習で知られる見逃せないイベントだ。

会場は、日本初の海水浴場、富士山を望む大磯・北浜海岸。ここに古くから続く坂下、浜之町、大泊、子の神、中宿、浅間町、大北の7か所の地区に加え、明治35(1902)年にできた山王町、長者町の2地区による、高さ8mもの巨大な斎灯、9基が並ぶ。先端には、子どもたちの成長に重ね合わせ、太く、よく伸びたおんべ竹が突き出す。

それぞれの斎灯は、地区ごとの長老が中心となり、伝統的なやり方でつくられるため、よく見ると個性がある。「俺たちの地区の斎灯が、一番かっこいいべ?」そんな声が、聞こえてきそうだ。

大磯の左義長の始まりは、江戸時代初期、今から400年ほど前。当時は漁師町で、現在「下町」と呼ばれる北浜海岸沿いの7地区には、多くの漁師が暮らしていた。ところが、ある年、疫病が流行り、大勢の子どもが亡くなってしまう。人々は悲しみ、厄払いのために始まったと言われる。

特徴は、関東最大規模のどんど焼きに加え、その開催日に向け、各地区で子孫繁栄、大漁祈願のための伝統行事が行われること。正月準備を始める、事始めの12月8日には、子どもたちが「○○さんにいいお嫁さんが来ますように、いちばーん息子! 」と唱えながら家々を巡回する「一番息子」という行事が始まる。かつての漁師町では、男手が重要だったことに由来する。そして、町民たちによる地区ごとに祀られた道祖神の巡拝、「七所参り」が行われる。さらに、道祖神のための家「御仮屋」がつくられ、子どもたちが中へ入って、神を囲んで楽しませるという風習も。

この一連の行事を含めて、大磯では「左義長」と呼ばれ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。↙︎
約400年、大磯の人々がつなぐ左義長

午後6時半。各斎灯は、昔ながらの火打ち石で、その年の恵方の方向から一斉に点火される。瞬く間に天まで届きそうなほど燃え上がり、その炎は伊豆大島からも見えるという。この壮大な景観に、作家の島崎藤村は心動かされ、大磯へと移り住んだという逸話も残る。

地区の長老格が燃え盛る炎に近づき、竹の先端に縄をかけ、斎灯を倒し始めるたら、竹竿の先につけた「だんご花」を焼く出番がやってくる。どんどの火で焼いた団子を食べると、風邪をひかないという言い伝えをご存知だろうか?

左義長のフィナーレを飾るのは、「ヤンナゴッコ」という綱引きの神事だ。子の神、大北、長者町と、3地区からのふんどし姿の男衆が、地区ごとの木ゾリに仮宮を乗せ、海へ飛び込んでいく。浜方の男衆は魚に見立てられ、陸方の男衆がそれを引き上げ、豊漁を祈願。陸に上がった仮宮は前年の厄とされ、跡形もなく壊される。そして、新しい仮宮が乗せられ、町内を練り歩く。町に響くのは、伊勢音頭。かつて三重県の伊勢神宮へ、大磯・照ヶ崎海岸から向かう船が出ていたことが由来と言われるのだ。最後は、地区ごとに道祖神をもとの場所へと還し、幕を閉じる。

全国的な少子高齢化に伴い、継続危機の側面も抱える大磯の左義長だが、この祭りに関わる人々からは、こんな声が聞こえてくる。
「お父さん、おじいちゃん、ひいおじいちゃん、みんなやってきたんだ。俺たちの代で終わらすことはできない。諸先輩に申し訳ない。大磯で育ち、一緒にやる人には文化が根づいている。この町が好きだ、と言ってくれる町外の人々も巻き込んで、みんなの力でやれば、なんとかなる!」

当日、会場ではだんご花や大磯名物の玉こんにゃく、トントロ焼き丼などが販売され、先着200杯で磯汁も無料で振る舞われる。また、どんど焼き開始前に浜之町の「東光院」で上映される映画『大磯の左義長の今と昔』も興味深い。

今一度、伝統的な小正月を振り返り、新しい年の始まりを迎えてはどうだろうか?

INFORMATION

大磯の左義長

日程:2018年1月13日(土)
時間:点火18:30予定
場所:神奈川県大磯町大磯1990(北浜海岸/大磯海水浴場)
主催:大磯町左義長保存会
※大磯の左義長の伝統文化を守るための活動を続ける「左義長応援団」は、町内外の応援団員を募集中。
詳しくは公式ウェブサイトへ

映画会『大磯の左義長の今と昔』
時間:1回目15:30〜16:00、2回目16:30〜17:00
場所:神奈川県大磯町大磯1525(東光院本堂)
定員:各50名(先着順)
協力:東光院