ヒトラーが生んだラブ・アンド・ピース!?
その愛らしいカタチからビートル(カブトムシ)の愛称で親しまれ、多くのファンを魅了し続けるドイツ生まれのフォルクスワーゲン。そのルーツは意外にも第二次世界大戦前夜、「ヒトラーの誰もが買える安価なクルマを作る」という、政策上の理由から生まれたのだった。当時クルマといえば値段も飛び抜けて高価にして、とても一般大衆の手が届かない高嶺の華だった。ヒトラーの御指名を受け国家プロジェクトを実現させたのが、後のポルシェの創業者フェルディナント・ポルシェだった。1938年から生産がスタートしてから2003年までの累積生産台数は、二輪車での最高記録販売台数を達成したホンダのカブを遙かに上回る2152万台以上という記録をマークした大衆車だ。様々な時代の遍歴を乗り越えアメリカ大陸へと渡ったビートルは、ソサエティのジャンルを越え、一般大衆からラブ・アンド・ピースの申し子ヒッピーやサーファー、そしてそのシンプルな構造からカスタムカルチャーの権化ホットロッドへとオーナーの趣味やライフスタイルに合わせたカスタマイズが施されてきた。“ビートル=自由”、そんなイメージも見え隠れする。
子供のころからアメリカンカルチャーへの憧れと想いが叶い、茅ケ崎で「Yellow Tail」というアメカジショップを営む藤本さんもビートルラバーの一人だ。
ビートルとの出会い
「子どものころからバイクが大好きで、東京に住んでいる時は駐車場問題もあってバイク一辺倒で、クルマに乗り始めたのは茅ケ崎に移り住んでからなんです」
海辺での暮しが始まり、アメリカンカルチャーが大好きな藤本さんが手に入れた最初のビートルは、「以前から古いビートルには絶大な興味があったんですが、壊れたりするのが心配で先ず手始めに購入したのがニュービートルだったんです」。
しかし、ニュービートルも気に入ってはいたが、ヴィンテージビートルへの想いは募る一方だった。「回りに古いビートルに乗っている人がいたので、その特徴やメンテナンスについて聞いているうちに、それだったら大丈夫かな、というところから、次第に現実的な方向へと進み始めた」と言う。そうした想いが実り、2台目に選んだのが1973年式の1303通称マル3だった。そして現在の愛車1972年式VW T1ビートルスタンダードに行き着いたのだった。↙︎
その愛らしいカタチからビートル(カブトムシ)の愛称で親しまれ、多くのファンを魅了し続けるドイツ生まれのフォルクスワーゲン。そのルーツは意外にも第二次世界大戦前夜、「ヒトラーの誰もが買える安価なクルマを作る」という、政策上の理由から生まれたのだった。当時クルマといえば値段も飛び抜けて高価にして、とても一般大衆の手が届かない高嶺の華だった。ヒトラーの御指名を受け国家プロジェクトを実現させたのが、後のポルシェの創業者フェルディナント・ポルシェだった。1938年から生産がスタートしてから2003年までの累積生産台数は、二輪車での最高記録販売台数を達成したホンダのカブを遙かに上回る2152万台以上という記録をマークした大衆車だ。様々な時代の遍歴を乗り越えアメリカ大陸へと渡ったビートルは、ソサエティのジャンルを越え、一般大衆からラブ・アンド・ピースの申し子ヒッピーやサーファー、そしてそのシンプルな構造からカスタムカルチャーの権化ホットロッドへとオーナーの趣味やライフスタイルに合わせたカスタマイズが施されてきた。“ビートル=自由”、そんなイメージも見え隠れする。
子供のころからアメリカンカルチャーへの憧れと想いが叶い、茅ケ崎で「Yellow Tail」というアメカジショップを営む藤本さんもビートルラバーの一人だ。
ビートルとの出会い
「子どものころからバイクが大好きで、東京に住んでいる時は駐車場問題もあってバイク一辺倒で、クルマに乗り始めたのは茅ケ崎に移り住んでからなんです」
海辺での暮しが始まり、アメリカンカルチャーが大好きな藤本さんが手に入れた最初のビートルは、「以前から古いビートルには絶大な興味があったんですが、壊れたりするのが心配で先ず手始めに購入したのがニュービートルだったんです」。
しかし、ニュービートルも気に入ってはいたが、ヴィンテージビートルへの想いは募る一方だった。「回りに古いビートルに乗っている人がいたので、その特徴やメンテナンスについて聞いているうちに、それだったら大丈夫かな、というところから、次第に現実的な方向へと進み始めた」と言う。そうした想いが実り、2台目に選んだのが1973年式の1303通称マル3だった。そして現在の愛車1972年式VW T1ビートルスタンダードに行き着いたのだった。↙︎
藤本さん流カスタマイズ
「今の愛車は、当時一番安価で発売されたスタンダードというモデルです。それゆえコスト削減のために通常の72年式とは違う旧モデルのパーツを多く流用しています。なので見た目も同じ年式のモデルより古臭く見えるんです。内装の内張も普通は全面に張ってありますが天井にしか張ってなかったり、シートもヘッドレストのないローバックシートだったり……」
そのシンプルさが好きな故、敢えてスタンダードタイプを探し求めるまで、2年程費やした。
「なぜ時間がかかったかというと一番安価だったモデルなので、当時の日本では60年代のヴィンテージルックに改造されるケースが多く、現在までオリジナルに近いカタチで残っている個体が本当に少ないんです」
アメリカではスタンダードモデルは発売されておらず、世界的に見ても現存数が少なく今となってはとても貴重。余計なものは全て削ぎ落とした必要最低限のシンプルな作りが玄人受けするモデルだ。藤本さんの愛車も、ローダウンにした以外はほとんど当時のままだ。フロントを下げてリアをヒップアップにした「キャルルック」というスタイルだ。
80年代、日本でもこのスタイルのビートルが流行っていた。
「そうしたテイストも多少盛り込みながら、ホイールやハンドル、マフラーそれに籐製のダッシュボードに変えてある位ですね。こうしたパーツはオプションとしてリリースされていたものやそのレプリカなんで、ある意味でオリジナルなんですよ」
コテコテにせず、ほどほどに仕上げる。それがビートルとベスパの人肌を感じさせるシンプルさ、そしてシャレの効いたサンフランシスコ好きな藤本さん流のカスタマイズなのだ。
MY FAVORITE ROAD
「所有しているイタリアンスクーターのベスパ同様、ビートルは普段使いとして通勤に使ったり国道134号線上のサーフスポットに行くのがメインですが、時には静岡で開催されるワーゲン関係のイベントに出掛けたりしています。今乗っているビートルは、1972年式の空冷1200ccのマニュアル車なんですが、高速道路でもスムースに支障なく走れるんで、ハッピーな気分でドライビングを楽しんでいますね。でも、エンジンが小さいので、登りになると登坂車線オンリーですけど(笑)」
>MAP(国道134号茅ヶ崎付近)
「今の愛車は、当時一番安価で発売されたスタンダードというモデルです。それゆえコスト削減のために通常の72年式とは違う旧モデルのパーツを多く流用しています。なので見た目も同じ年式のモデルより古臭く見えるんです。内装の内張も普通は全面に張ってありますが天井にしか張ってなかったり、シートもヘッドレストのないローバックシートだったり……」
そのシンプルさが好きな故、敢えてスタンダードタイプを探し求めるまで、2年程費やした。
「なぜ時間がかかったかというと一番安価だったモデルなので、当時の日本では60年代のヴィンテージルックに改造されるケースが多く、現在までオリジナルに近いカタチで残っている個体が本当に少ないんです」
アメリカではスタンダードモデルは発売されておらず、世界的に見ても現存数が少なく今となってはとても貴重。余計なものは全て削ぎ落とした必要最低限のシンプルな作りが玄人受けするモデルだ。藤本さんの愛車も、ローダウンにした以外はほとんど当時のままだ。フロントを下げてリアをヒップアップにした「キャルルック」というスタイルだ。
80年代、日本でもこのスタイルのビートルが流行っていた。
「そうしたテイストも多少盛り込みながら、ホイールやハンドル、マフラーそれに籐製のダッシュボードに変えてある位ですね。こうしたパーツはオプションとしてリリースされていたものやそのレプリカなんで、ある意味でオリジナルなんですよ」
コテコテにせず、ほどほどに仕上げる。それがビートルとベスパの人肌を感じさせるシンプルさ、そしてシャレの効いたサンフランシスコ好きな藤本さん流のカスタマイズなのだ。
MY FAVORITE ROAD
「所有しているイタリアンスクーターのベスパ同様、ビートルは普段使いとして通勤に使ったり国道134号線上のサーフスポットに行くのがメインですが、時には静岡で開催されるワーゲン関係のイベントに出掛けたりしています。今乗っているビートルは、1972年式の空冷1200ccのマニュアル車なんですが、高速道路でもスムースに支障なく走れるんで、ハッピーな気分でドライビングを楽しんでいますね。でも、エンジンが小さいので、登りになると登坂車線オンリーですけど(笑)」
>MAP(国道134号茅ヶ崎付近)
OWNER'S PROFILE
藤本龍太郎
1967年山口県生まれ。茅ケ崎市在住。
文化服装学院卒業後、アメカジショップの老舗バックドロップに勤務。セレクトショップYellow Tailのオーナー。
趣味はサーフィン