THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 052 Mr.Takashi Kuribayashi アーティスト
栗林 隆さん | 逗子

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo: Rai Shizuno  Text: Takuro Watanabe Edit: Yu Tokunaga

INPUT
「 自分のアイデンティティーを考えざるをえなくなったわけです。 その時『境界』というテーマが出てきました」

「逗子ってどこだ? っていう感じでしたよ。まるでイメージがわかない土地。逗子に住むことにはなったけれど、正直言うとはじめは乗り気じゃなかったんです」

国内外で活躍するアーティストの栗林隆さんが逗子に暮らし始めたのは2005年のこと。それまで長くドイツに拠点をおき活動していた当時の栗林さんにとっては逗子も湘南もなく、言ってしまえば日本のことですらほとんど情報がなかったという。その後16年暮らすことになる土地との出会いも、日本に帰ってきて知り合った人を通じて得た日本でのアトリエ物件がたまたま逗子だった、というものでしかなかった。

「大学の卒業式の翌日にはドイツに飛んでしまって、それ以来12年間ドイツ暮らしですから、日本には友人も少ないし、アート関係にすら繋がりがなかった。そんなこともあって、はじめの1年ぐらいは地域との接点はまったくなかったですね。かなり閉鎖的なスタートです(笑)。それからゆっくり人と知り合っていくわけですが、この土地にはコミュニティがあることに驚きましたよ」

長年ドイツにて単身アーティストとして活動をしてきた栗林さんにとって、土地に根づいたコミュニティに関わって、暮らしを形成していくという概念はなかったのだろう。だが、徐々にこの土地でクリエイターたちとのよい出会いが生まれていく。↙︎
「日本って“何もしていない人”っていうのが生きづらい国だと思うんです。でもドイツにはそういう人が多くて皆結構楽しんでいるんですけど、この土地にもその類の人種が多くて居心地が良かったんです。自分もアーティストなんていうけど世間の人にしてみれば何をしているかよくわからないですからね。この土地には同ミュージシャンやアーティストなどの“変なことやっている人たち”が普通にいたことが大きかったですね」

共感できる人間との出会いは共にプロジェクトを始めるきっかけにもなった。逗子に移り住んでから始め、今では栗林さんのライフスタイルに欠かすことのできない存在であるサーフィンを通じて出会った仲間と取り組むのは、核燃料廃棄処理所問題をテーマにしたプロジェクト「WAVEMENT」。そして、手押し「YATAI」で様々な「境界」を旅するアートプロジェクト「YATAI TRIP」は、この土地で出会ったクリエイターたちと共に進めているものだ。この「境界」が、ドイツ時代から一貫した栗林さんのアート活動の大きなテーマのひとつでもある。

「日本ではまず作品。作品の良し悪しで評価される。でもドイツで作品は二の次で、『お前は何を考えてるんだ?』ということが先にくるんです。アートは媒体であって自分を表現するものでしかないという考えですね。日本ではアートが好きでやっているアーティストが多いんだけど、極端な話、ヨーロッパでは好きでやってる人間なんていないんじゃないかとさえ思います。意味が必要になるんです。自分がドイツにいたのはちょうどユーロになった時で、ある日突然ドイツマルクがなくなったりとか、ありえないことが次々に起こりました。国境がなくなったヨーロッパにいる日本人としての自分のアイデンティティーを考えざるをえなくなったわけです。その時『境界』というテーマが出てきました」↙︎

OUTPUT
「精神的にも身体的にも『元気になる』のが 1番のテーマなんじゃないかと答えが出たんです」

25歳で単身ドイツに渡り、アートの世界の道を切り拓いてきた栗林さん。一見すると、前に前に推し進めていく力強い印象を受けるのだが、どうやらそういうことではないらしい。

「自分はこう見えていつも受け身なんですよ。自分発信というよりは巻き込まれていくタイプ。7年前から生活の拠点を移し、逗子との2拠点の生き方をしているジョグジャカルタだって、当初はブラジルとかに行こうとしていたんですよね。でも、さまざまな角度からジョクジャカルタの流れがやってきたんです。長く暮らしている逗子に関しても同じで、逗子に行きたかったわけじゃなくて、流れが来たというわけです。サーフィンじゃないけど、波に乗ったというだけのことなんです。核燃料再処理工場問題や、その後の原発問題への関わりも同じことが言えます」↙︎
東日本大震災が起こる以前から、青森県・六ヶ所村の核燃料再処理工場の問題をテーマに活動をはじめ、2011年以降は福島に通ってきた栗林さんは福島第一原発事故から10年を経た今年、原発の問題を土台にした新たな作品「元気炉」を発表している。

「福島第一原発事故から10年経ったわけですけれど、事態は何も良くなってはいませんよね。そんな時に、コロナの問題が出てきたわけです。世界が置かれている状況に対してアートがどんな役割をもてるのか? と考えた時に、精神的にも身体的にも『元気になる』のが1番のテーマなんじゃないかと答えが出たというわけです。この10年原発問題に向き合って作品も発表してはきたけれど、10年という一区切りのこのタイミングで何かしなければいけないとずっと考えていました。そしてコロナ。でも、新しい生活様式とかマスクとか、何かがか違うと感じていたんです。そういうことじゃないだろうと」↙︎
「元気炉」は、富山県入善町にある『下山芸術の森発電所美術館』にて2020年11月から展示されている体験型インスタレーションであり、高さ約6.5mの巨大な薬草スチームサウナである。

福島第一原発で使用されていた「GEマークⅠ型」の原子炉を模した姿は、圧倒的な存在感を放っていて、その姿にはさまざまな想いがよぎり、少し恐ろしくもあるのだが、回廊を通って内部に入ると、薬草の香りで満たされたスチームサウナ室が待っているのだ。そこでは鼻と口、全身を使って薬草スチームを吸い、浴びるという強烈な体験が待っている。元気炉から出てきた鑑賞者の顔と身体から昇る湯気を見れば、その体験がどんなにすばらしいものだったかはすぐにわかるだろう。

「コロナ問題でも放射能問題でも、根本的な問題は人が持っているストレスだと思うんです。病気なんていうのは全部ストレスから来るものだと思っているから、そのストレスの解放をアートができる方法を探していたのですが、薬草スチームサウナを使うことでそれができてしまったんです。問題に対して警鐘を鳴らすのではない方法でアートをやろうと。このコロナ問題を解決するには一人ひとりが健康になること、これしかないんじゃないかと思うんです。今はこの元気炉を全国に広める準備を進めています。日本にある原発の数である55基の元気炉を全国に設置して、体験した人が元気になってほしい」↙︎
全国に広める予定の元気炉だが、自身が暮らしている土地に設置することも構想中なのだそう。それは決して「地元だから」という特別意識ではないのだが、ドイツを経て逗子に流れ着いた栗林さんにとっては必然のことなどだと言う。

「不思議なんですけど、ずっと自分のことを俯瞰しているんですよね。ドイツも逗子もジョグジャカルタも、長崎の実家ですら “自分の場所”という感覚はどこにもない。でも、すごく大事な場所だという気がしています。逗子のことをまったく知らずに流れ着いたわけだけど、結果的にとても大切な場所になっているんです。過去や未来にはあまりとらわれない人間なので、この土地の未来に対して、目標を決めて何かやろうという意識はないのですが、結果、今この瞬間ここで何かをやっているという事は、きっとこの土地の未来のためなんだろうと思います」


【開催中の展覧会】
「栗林隆展」
会期:開催中。2021年3月21日(日)まで
会場:入善町 下山芸術の森発電所美術館
https://www.town.nyuzen.toyama.jp/gyosei/bijutsukan/3805.html

THE PADDLER PROFILE

栗林 隆

1968年長崎生まれ。武蔵野美術大学卒業後、渡独。「境界」をテーマにさまざまなメディアを使いながら制作を続けている。「ケルン市立美術館」や「シンガポール国立博物館」での個展のほか、国際展への参加多数。「十和田現代美術館」に収蔵展示。2016年より武蔵野美術大学客員教授。