THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介
THE PADDLER | 024 Mr.Akira Sasaki スキーヤー 佐々木 明さん|辻堂
INPUT
「海と山には共通点がたくさんあったんです」
週末の朝の鎌倉・材木座。波も穏やかなこの日の海岸には、スタンドアップパドル・サーファー、ウィンド・サーファー、そして釣り人。それぞれのスタイルで海を楽しむ人たちが行き交っていた。
そこに美しいアウトリガーカヌーが運ばれてきた。“シックスマン”と呼ばれる6人乗りカヌーを運ぶひとりがスキーヤーの佐々木明さん。2年前に新設された「ワイレア・カヌークラブ・ジャパン」に創設当時から参加しているのだという。
「スキーのカメラマンでもある代表の木下健二さんに誘ってもらい参加してみたら、メンバーになっていたというわけです(笑)。ずっと個人競技で生きてきたんで、自分に団体競技ができるのかなと思っていたのですが、アウトリガーカヌーの魅力にすっかりハマっちゃいましたね」
カヌーを始めた当時は東京に暮らし、練習のために鎌倉の海に通うようになった。雪山とは遠い世界にも思える海、そして、ずっと個人種目で戦ってきた人間が、人と一緒に漕ぐアウトリガーカヌーの世界にいるというのは驚きではあるのだが、呼吸を揃えることの楽しさを知り、海に山との共通点を見出すと、佐々木さん独自の視点と価値観で海が見えるようになってきたそうだ。
「カヌーは漕がなきゃ進まないし、山も登らなきゃ滑れない。海も山も、光や風を常に意識し、天気図を読んで低気圧の動きをチェックする、そして地図の見方など、海と山には共通点がたくさんあったんです」
生まれは北海道・道南に位置する北斗市(旧・大野町)。海も近くにある環境ではあったが、少年時代から完全に山にフォーカスして生きてきた。
「19歳から32歳まで暮らしていたオーストリアに海がなかったということもありますけど、100%山に集中していましたからね。帰国するまで海のスポーツについては一瞬も考えたことなかったですよ。レースでどうやって勝つか、ということしか考えていませんでした」
小樽北照高等学校1年生の時にナショナルチーム入りして以来、ずっと世界を舞台にしてきた。W杯の表彰台も経験し、ソチオリンピックまで戦い続けた。2014年に競技の世界を離れると、映像作品を制作するなど、選手の時にはできなかった形でスキーに関わり、新たなスキーの魅力を伝えている。
「世界の“超”がつくトップの場所にはいったなと思うんです。でも、なんでそんなに頑張ったのかというと、今のような豊かな暮らしを得るためだったんですよ。選手として高いところまで行って、ある程度発言の自由を得る。自分のメッセージを思うように発信して、人生を豊かにしていこうと思ったんです。アルペンスキーは自分にとって強力な武器みたいなもので、ここまでやってきたという自信が発言を許してくれていると思うんです」
選手時代は観客やファン、テレビの前の人たちのために滑っていた。それが、今は自分のために滑るようになり、角度を広げてスキーに向き合っている。佐々木さんの数ある活動の中の一つに「AKIRA’S PROJECT」があり、これまでモンゴル、ノルウェーを訪れ、山に登って、滑り、映像に納めてきたのだが、このプロジェクトにスポンサーは付けていない。セルフ・プロモーション、セルフ・ブランディング、すべて自腹で自分の思うままに作品をつくっているのだ。これは「スポンサーに依存しなくても作品はつくれる」という他のアスリートに対してのメッセージも含まれているのだという。
「これまでは安全管理がしっかりとされていた中での活動だったので、これからは人の手の触れていない自然の中でのプレイを、自由な表現でやっていきたいんです。スキーの発展性をもっと見つけ、伝えたいですね」↙︎
そこに美しいアウトリガーカヌーが運ばれてきた。“シックスマン”と呼ばれる6人乗りカヌーを運ぶひとりがスキーヤーの佐々木明さん。2年前に新設された「ワイレア・カヌークラブ・ジャパン」に創設当時から参加しているのだという。
「スキーのカメラマンでもある代表の木下健二さんに誘ってもらい参加してみたら、メンバーになっていたというわけです(笑)。ずっと個人競技で生きてきたんで、自分に団体競技ができるのかなと思っていたのですが、アウトリガーカヌーの魅力にすっかりハマっちゃいましたね」
カヌーを始めた当時は東京に暮らし、練習のために鎌倉の海に通うようになった。雪山とは遠い世界にも思える海、そして、ずっと個人種目で戦ってきた人間が、人と一緒に漕ぐアウトリガーカヌーの世界にいるというのは驚きではあるのだが、呼吸を揃えることの楽しさを知り、海に山との共通点を見出すと、佐々木さん独自の視点と価値観で海が見えるようになってきたそうだ。
「カヌーは漕がなきゃ進まないし、山も登らなきゃ滑れない。海も山も、光や風を常に意識し、天気図を読んで低気圧の動きをチェックする、そして地図の見方など、海と山には共通点がたくさんあったんです」
生まれは北海道・道南に位置する北斗市(旧・大野町)。海も近くにある環境ではあったが、少年時代から完全に山にフォーカスして生きてきた。
「19歳から32歳まで暮らしていたオーストリアに海がなかったということもありますけど、100%山に集中していましたからね。帰国するまで海のスポーツについては一瞬も考えたことなかったですよ。レースでどうやって勝つか、ということしか考えていませんでした」
小樽北照高等学校1年生の時にナショナルチーム入りして以来、ずっと世界を舞台にしてきた。W杯の表彰台も経験し、ソチオリンピックまで戦い続けた。2014年に競技の世界を離れると、映像作品を制作するなど、選手の時にはできなかった形でスキーに関わり、新たなスキーの魅力を伝えている。
「世界の“超”がつくトップの場所にはいったなと思うんです。でも、なんでそんなに頑張ったのかというと、今のような豊かな暮らしを得るためだったんですよ。選手として高いところまで行って、ある程度発言の自由を得る。自分のメッセージを思うように発信して、人生を豊かにしていこうと思ったんです。アルペンスキーは自分にとって強力な武器みたいなもので、ここまでやってきたという自信が発言を許してくれていると思うんです」
選手時代は観客やファン、テレビの前の人たちのために滑っていた。それが、今は自分のために滑るようになり、角度を広げてスキーに向き合っている。佐々木さんの数ある活動の中の一つに「AKIRA’S PROJECT」があり、これまでモンゴル、ノルウェーを訪れ、山に登って、滑り、映像に納めてきたのだが、このプロジェクトにスポンサーは付けていない。セルフ・プロモーション、セルフ・ブランディング、すべて自腹で自分の思うままに作品をつくっているのだ。これは「スポンサーに依存しなくても作品はつくれる」という他のアスリートに対してのメッセージも含まれているのだという。
「これまでは安全管理がしっかりとされていた中での活動だったので、これからは人の手の触れていない自然の中でのプレイを、自由な表現でやっていきたいんです。スキーの発展性をもっと見つけ、伝えたいですね」↙︎
OUTPUT
「どうして湘南に暮らしだしたのかというと、キーワードは水なんです」
そんな佐々木さんが今、湘南にいる。アウトリガーカヌーに出会ってから、湘南の海に通うようになり、この秋から辻堂で暮らし始めたのだ。
「なんで辻堂にしたかというと、湘南の真ん中だから(笑)。サーフィンもするようになったんですけど、よく入るポイントは平塚のハッピービーチで、アウトリガーカヌーは鎌倉だから、よし、その真ん中に暮らそうと」
まだ始めて間もないというサーフィンだが、すでにスキーヤーとしての佐々木さんに影響をおよぼし始めている。
「サーフィンを始めたら、スキーの滑り、ライン、上半身の使い方が変わりましたね。でも、元々サーフインはしないのに、サーフィンやスケートボードのライディングから自分のスタイルをつくり上げてきていたんです。2002年に『DOGTOWN & Z-BOYZ』の映像でトニー・アルヴァのスケートを見た時に衝撃を受け、そこにインスパイアされて自分の滑りのスタイルをつくり上げていきました」
100分の1秒というタイムを競う選手の頃からスタイルにこだわり、スキー以外のカルチャーにも視野を広げ、ジャンルの枠を取り払ってきた佐々木さん。雪山のトップアスリートが、知らないことだらけの海に出会った。そこから得ている気づきと発見は、計り知れないものなのだろう。
「自然と調和して生きていきたいと常に思っています。でも、海を知らなかったら、自然の本質を理解することなんかはできないんですよね。すべての生命は海から生まれているのに、これまで何も知らなかったなと。どうして湘南に暮らしだしたのかというと、キーワードは水なんです。地球は水でできているから青い。この地球の海、川、そして雪、そのすべてが水ですよね。さらにいうと人だって水。その水と繋がることのできるツールがスキーであり、スノーボードであり、アウトリガーカヌーであり、サーフィンなんですよ。水と調和したい、感じたい、学びたいんです。そして、水は山に繋がります。海の水が雲になり、雲が山に引っかかって雨や雪になり、川ができ海に繋がる。これがずっと回っている。それに気づいた時、喜びに満ち溢れましたね。その視点と思考があると、山の見方も変わるんです。単純に言ったら、カヌーで山を滑ったらどうなるんだろうとかも考えちゃう(笑)」
佐々木さんは今、サーフィンからインスパイアを受けたスキー板も製作中だという。
「パウダーの中でどれだけサーフィンみたいな動きを2枚板で表現できるかっていうものなんですが、(真木)蔵人くんと『T.F SURF SHOP』の藤村利廣さんが共につくった『DDDOOR』というサーフボードのシェイプにインスパイアされてつくっています。名前は『DDDOOR SKI』。スキー界はアルペンスキー、フリースキー、ハーフパイプ、基礎スキー、ビックマウンテンと、たくさんのジャンルがあるんですけど、そのジャンルの枠の中で世界が回っているところがあります。その枠を壊して、越えていけるような板にしたかったんです。究極に乗りづらいか、または初心者でもパウダーで滑りやすいか、それはまだ未知数ですが、次にパウダーが降ったら試したいですね」
佐々木明という稀代のスキーヤーが、海と出合うことで得た感性でつくったスキー板。これまで誰も持っていなかった視点から、まったく新しいスキー板が生まれようとしている。それも、雪が降りしきるスノータウンではなく、この湘南で。もしかすると、新しいスキーの流れが生まれる、その瞬間を見ているのかもしれない。
「なんで辻堂にしたかというと、湘南の真ん中だから(笑)。サーフィンもするようになったんですけど、よく入るポイントは平塚のハッピービーチで、アウトリガーカヌーは鎌倉だから、よし、その真ん中に暮らそうと」
まだ始めて間もないというサーフィンだが、すでにスキーヤーとしての佐々木さんに影響をおよぼし始めている。
「サーフィンを始めたら、スキーの滑り、ライン、上半身の使い方が変わりましたね。でも、元々サーフインはしないのに、サーフィンやスケートボードのライディングから自分のスタイルをつくり上げてきていたんです。2002年に『DOGTOWN & Z-BOYZ』の映像でトニー・アルヴァのスケートを見た時に衝撃を受け、そこにインスパイアされて自分の滑りのスタイルをつくり上げていきました」
100分の1秒というタイムを競う選手の頃からスタイルにこだわり、スキー以外のカルチャーにも視野を広げ、ジャンルの枠を取り払ってきた佐々木さん。雪山のトップアスリートが、知らないことだらけの海に出会った。そこから得ている気づきと発見は、計り知れないものなのだろう。
「自然と調和して生きていきたいと常に思っています。でも、海を知らなかったら、自然の本質を理解することなんかはできないんですよね。すべての生命は海から生まれているのに、これまで何も知らなかったなと。どうして湘南に暮らしだしたのかというと、キーワードは水なんです。地球は水でできているから青い。この地球の海、川、そして雪、そのすべてが水ですよね。さらにいうと人だって水。その水と繋がることのできるツールがスキーであり、スノーボードであり、アウトリガーカヌーであり、サーフィンなんですよ。水と調和したい、感じたい、学びたいんです。そして、水は山に繋がります。海の水が雲になり、雲が山に引っかかって雨や雪になり、川ができ海に繋がる。これがずっと回っている。それに気づいた時、喜びに満ち溢れましたね。その視点と思考があると、山の見方も変わるんです。単純に言ったら、カヌーで山を滑ったらどうなるんだろうとかも考えちゃう(笑)」
佐々木さんは今、サーフィンからインスパイアを受けたスキー板も製作中だという。
「パウダーの中でどれだけサーフィンみたいな動きを2枚板で表現できるかっていうものなんですが、(真木)蔵人くんと『T.F SURF SHOP』の藤村利廣さんが共につくった『DDDOOR』というサーフボードのシェイプにインスパイアされてつくっています。名前は『DDDOOR SKI』。スキー界はアルペンスキー、フリースキー、ハーフパイプ、基礎スキー、ビックマウンテンと、たくさんのジャンルがあるんですけど、そのジャンルの枠の中で世界が回っているところがあります。その枠を壊して、越えていけるような板にしたかったんです。究極に乗りづらいか、または初心者でもパウダーで滑りやすいか、それはまだ未知数ですが、次にパウダーが降ったら試したいですね」
佐々木明という稀代のスキーヤーが、海と出合うことで得た感性でつくったスキー板。これまで誰も持っていなかった視点から、まったく新しいスキー板が生まれようとしている。それも、雪が降りしきるスノータウンではなく、この湘南で。もしかすると、新しいスキーの流れが生まれる、その瞬間を見ているのかもしれない。
THE PADDLER PROFILE
佐々木 明
1981年北海道生まれ。辻堂在住。
3歳でスキーを始め16歳でアルペンスキーの日本代表に選出される。以後、世界を舞台に活躍し、ソチオリンピックまで4大会連続でオリンピック出場。競技生活を離れた現在は、より自由な表現でスキーの魅力を伝え、スキーを通じた支援活動なども積極的に行なっている。2018年全日本スキー連盟のアルペンスキー部門アドバイザーに就任。