THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介
THE PADDLER | 014
Mr.Kanta Yokoyama
横山 寛多さん
絵描き|鎌倉
INPUT
「鎌倉だからこういう大人になったんだと思います。 山があって海があるから虫と釣りが好きになったんでしょうね」
鎌倉、材木座海岸に抜ける小道沿いに立つ雰囲気のある日本家屋。庭にある大きな松の木が目印だ。
「僕、海、砂、磯はNGなんです。6歳ぐらいの時に材木座の和賀江島で裸足で遊んでいたら、足を切って最低な思いをしたんですよ。だから絶対に行かないですね」
海まで1分の立地に暮らしながらも、こんなことを言う人物が、絵描きの横山寛多さん。誤解をしないでいただきたいのは、これは彼なりのユーモアだということ。いや、やはり少し偏屈なのかもしれないか。
「本当はね、行きたいんですよ、磯。ウミウシとかテッポウエビとかすんごい見たい。だけど行きません(笑)。でも、子どもの頃から釣りはずっと続けてます。もちろん堤防限定で。魚の色合わせって、ものすごく絵の参考になるんですよ」
生まれも育ちも鎌倉の大町。自然に囲まれて育ってきた。幼い頃から生き物全般、特に昆虫と魚が大好きで、近所の山、川、海で生き物に親しんできたのだそう。
「鎌倉だからこういう大人になったんだと思います。山があって海があるから虫と釣りが好きになったんでしょうね。大町にあったじいさんちの庭先にはおもしろい虫がたくさんいましたし、裏手の川にはザリガニ、テナガエビ、モクズガニやウナギもいたんですよ。今もいるんじゃないかな」
“じいさん”とは鎌倉に暮らし、風刺漫画の世界で活躍した漫画家、洋画家の故・横山泰三氏。寛多さんの祖父にあたる。そして、鎌倉の住民にはお馴染みの、漫画『フクちゃん』の作者である故・横山隆一氏は大伯父にあたるという寛多さん。そんな鎌倉を代表する絵描きの家系で育った彼は、当然のごとく絵に親しみ、やがて多摩美術大学へ進学。祖父と同じ油画を専攻した。卒業後は学生時代から続けていた予備校の仕事でデッサンを教えつつ、絵の仕事をしていく道を選んだ。
「当時の僕はね、『どうにかなる』って思っていたんですよ。でも、現実はどうにかなるわけじゃなかったですね。絵の仕事だって少なかったし、予備校が閉鎖した時には、週5日休みになっちゃて、これは大変だぞ、と思いました」
それを機に、子ども向けのお絵描き教室を始めようと思い、近所の幼稚園に相談をしたところ、場所を貸してくれることに。初めはたったひとりの生徒だったが「楽しいし、子どものためになる」と教室の評判は湘南中に広がり、今では受講にキャンセル待ちが出るほどの大人気な教室となった。ちなみに最初の生徒だった当時6歳の“一番弟子”は中学3年生になり、今は寛多さんにデッサンを習っているそうだ。↙︎
「僕、海、砂、磯はNGなんです。6歳ぐらいの時に材木座の和賀江島で裸足で遊んでいたら、足を切って最低な思いをしたんですよ。だから絶対に行かないですね」
海まで1分の立地に暮らしながらも、こんなことを言う人物が、絵描きの横山寛多さん。誤解をしないでいただきたいのは、これは彼なりのユーモアだということ。いや、やはり少し偏屈なのかもしれないか。
「本当はね、行きたいんですよ、磯。ウミウシとかテッポウエビとかすんごい見たい。だけど行きません(笑)。でも、子どもの頃から釣りはずっと続けてます。もちろん堤防限定で。魚の色合わせって、ものすごく絵の参考になるんですよ」
生まれも育ちも鎌倉の大町。自然に囲まれて育ってきた。幼い頃から生き物全般、特に昆虫と魚が大好きで、近所の山、川、海で生き物に親しんできたのだそう。
「鎌倉だからこういう大人になったんだと思います。山があって海があるから虫と釣りが好きになったんでしょうね。大町にあったじいさんちの庭先にはおもしろい虫がたくさんいましたし、裏手の川にはザリガニ、テナガエビ、モクズガニやウナギもいたんですよ。今もいるんじゃないかな」
“じいさん”とは鎌倉に暮らし、風刺漫画の世界で活躍した漫画家、洋画家の故・横山泰三氏。寛多さんの祖父にあたる。そして、鎌倉の住民にはお馴染みの、漫画『フクちゃん』の作者である故・横山隆一氏は大伯父にあたるという寛多さん。そんな鎌倉を代表する絵描きの家系で育った彼は、当然のごとく絵に親しみ、やがて多摩美術大学へ進学。祖父と同じ油画を専攻した。卒業後は学生時代から続けていた予備校の仕事でデッサンを教えつつ、絵の仕事をしていく道を選んだ。
「当時の僕はね、『どうにかなる』って思っていたんですよ。でも、現実はどうにかなるわけじゃなかったですね。絵の仕事だって少なかったし、予備校が閉鎖した時には、週5日休みになっちゃて、これは大変だぞ、と思いました」
それを機に、子ども向けのお絵描き教室を始めようと思い、近所の幼稚園に相談をしたところ、場所を貸してくれることに。初めはたったひとりの生徒だったが「楽しいし、子どものためになる」と教室の評判は湘南中に広がり、今では受講にキャンセル待ちが出るほどの大人気な教室となった。ちなみに最初の生徒だった当時6歳の“一番弟子”は中学3年生になり、今は寛多さんにデッサンを習っているそうだ。↙︎
OUTPUT
「僕は1回の切れ味でやっていく方向。 自分はこういう線だな、というのがやっと最近見えてきたような気がします」
「今は教える仕事と、絵の仕事が半々ぐらいですかね」
この数年で寛多さんの絵を雑誌や街で見かけることが増えてきたように感じるが、イラストや挿絵の仕事の依頼は増えているそうだ。今年からは祖父・泰三氏が39年もの間風刺漫画を連載していた朝日新聞でも挿絵を描くようになった。
「僕が鎌倉の飲み屋さんで描いて壁に貼っていたカニの落書きをたまたま見た編集の方が、声をかけてくださったんです。じいさんがずっと描いていた
舞台だったから、とても嬉しかったです。不思議な縁ですよね」
朝日新聞の連載では寛多さんの好きなものを描いていいらしく、彼らしい洒落っ気のある線で生き物などが描かれている。
「固くならないように、力が抜けた線になるまで描こう、という意識はいつもありますね。たくさん描いて疲れてからの方が良いものが描けたりもします。
バッティングセンターでホームランが出るまで打つのに似てるかな? 僕は1回の切れ味でやっていく方向。自分はこういう線だな、というのがやっと最近見えてきたような気がします」
生き物好きには観察眼に優れている人が多いのだが、寛多さんも生き物に触れることを通じて対象物を見る、観察する力を幼少期より養ってきたのだろう。
「きれいなものがあったらじっと見てしまうんです。虫は捕まえて、好きなだけずっと見ちゃうんです。品の良いことじゃないけど、きれいな女の子もずっと見ちゃいますね(笑)。そして、描くことで少し自分のものになるんですよ。気がつくと虫の落書きとかしてますね。あ、かわいい女の子も描くと自分のものになるんです」
女の子のことはさておき、観察して描くこと、そんな自分が幼少期より続けてきた技術、そして何より絵を描くことの楽しさを子どもたちに伝えている寛多さんだが、彼の教室が人気である理由は、自身が絵を描くことが好きだからこそ生まれたプログラムと指導法にある。
絵を描くためのモチーフとなるものは寛多さんが鎌倉の市場で出会って心惹かれた野菜や、近所の知り合いの漁師さんの網にかかった珍しい魚などが選ばれる。
「漁師さんには『サメが獲れたら連絡してくださいね!』という感じで、お願いしています。モチーフはなるべく季節を感じられるように心がけてます。あとは自分が面白いと思うもの。子どもたちには身近な自然のおもしろさを発見してほしいですね」
山や川で生き物を探し、海(堤防限定)で魚を釣り、観察して絵に描く。子どもの頃からまるで変わらない目線と姿勢で、今日も鎌倉の自然を歩く寛多さん。
自己を形成した体験や知恵を土地の子どもたちに惜しみなくシェアしている彼は、2年前からお絵描き教室の延長として、夏の間に鎌倉の山をフィールドにした子どもたちとの昆虫観察会に参加している。それは、鎌倉に暮らす虫好きとして大先輩にあたり、寛多さんにとっては憧れの存在でもある、解剖学者の養老孟司氏の助手としてのプログラムだった。
「僕、最近ウェダーブーツを買ったんですよ! それ履いてこの前、滑川(鎌倉の川)でテナガエビを捕まえましたよ」
そう嬉しそうに話す寛多さん。かつての「生き物と絵が好きな少年」は、今や鎌倉で人気の絵描きとなり、やがて「生き物と絵が好きなおじいさん」になっていくのだろう。どうやら、そこには“鎌倉を代表する”という冠が付くことになりそうだ。
この数年で寛多さんの絵を雑誌や街で見かけることが増えてきたように感じるが、イラストや挿絵の仕事の依頼は増えているそうだ。今年からは祖父・泰三氏が39年もの間風刺漫画を連載していた朝日新聞でも挿絵を描くようになった。
「僕が鎌倉の飲み屋さんで描いて壁に貼っていたカニの落書きをたまたま見た編集の方が、声をかけてくださったんです。じいさんがずっと描いていた
舞台だったから、とても嬉しかったです。不思議な縁ですよね」
朝日新聞の連載では寛多さんの好きなものを描いていいらしく、彼らしい洒落っ気のある線で生き物などが描かれている。
「固くならないように、力が抜けた線になるまで描こう、という意識はいつもありますね。たくさん描いて疲れてからの方が良いものが描けたりもします。
バッティングセンターでホームランが出るまで打つのに似てるかな? 僕は1回の切れ味でやっていく方向。自分はこういう線だな、というのがやっと最近見えてきたような気がします」
生き物好きには観察眼に優れている人が多いのだが、寛多さんも生き物に触れることを通じて対象物を見る、観察する力を幼少期より養ってきたのだろう。
「きれいなものがあったらじっと見てしまうんです。虫は捕まえて、好きなだけずっと見ちゃうんです。品の良いことじゃないけど、きれいな女の子もずっと見ちゃいますね(笑)。そして、描くことで少し自分のものになるんですよ。気がつくと虫の落書きとかしてますね。あ、かわいい女の子も描くと自分のものになるんです」
女の子のことはさておき、観察して描くこと、そんな自分が幼少期より続けてきた技術、そして何より絵を描くことの楽しさを子どもたちに伝えている寛多さんだが、彼の教室が人気である理由は、自身が絵を描くことが好きだからこそ生まれたプログラムと指導法にある。
絵を描くためのモチーフとなるものは寛多さんが鎌倉の市場で出会って心惹かれた野菜や、近所の知り合いの漁師さんの網にかかった珍しい魚などが選ばれる。
「漁師さんには『サメが獲れたら連絡してくださいね!』という感じで、お願いしています。モチーフはなるべく季節を感じられるように心がけてます。あとは自分が面白いと思うもの。子どもたちには身近な自然のおもしろさを発見してほしいですね」
山や川で生き物を探し、海(堤防限定)で魚を釣り、観察して絵に描く。子どもの頃からまるで変わらない目線と姿勢で、今日も鎌倉の自然を歩く寛多さん。
自己を形成した体験や知恵を土地の子どもたちに惜しみなくシェアしている彼は、2年前からお絵描き教室の延長として、夏の間に鎌倉の山をフィールドにした子どもたちとの昆虫観察会に参加している。それは、鎌倉に暮らす虫好きとして大先輩にあたり、寛多さんにとっては憧れの存在でもある、解剖学者の養老孟司氏の助手としてのプログラムだった。
「僕、最近ウェダーブーツを買ったんですよ! それ履いてこの前、滑川(鎌倉の川)でテナガエビを捕まえましたよ」
そう嬉しそうに話す寛多さん。かつての「生き物と絵が好きな少年」は、今や鎌倉で人気の絵描きとなり、やがて「生き物と絵が好きなおじいさん」になっていくのだろう。どうやら、そこには“鎌倉を代表する”という冠が付くことになりそうだ。
THE PADDLER PROFILE
横山寛多
絵描き。鎌倉生まれ。多摩美術大学油画科卒。画家筋の家に生まれ、自身も絵描きの道に進む。挿絵やイラスト制作のほか、
専門学校でデッサンの講師、地元鎌倉にて子どもを対象にしたお絵描き教室を主宰している。