THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介
THE PADDLER | 004
Mr.Rumina Sato
佐藤ルミナさん
修斗ジム「roots」代表 | 小田原
地元・小田原から総合格闘技の裾野を広げていく
打撃、投げ、関節を極める、など基本的に何をしてもいい総合格闘技。その団体のひとつ「修斗」で活躍していた佐藤ルミナさんは小田原出身。19歳まで小田原で過ごし、上京後の1994年、総合格闘技団体「修斗」でプロデビュー。2005年には「修斗環太平洋ライト級」(当時の階級)の初代チャンピオンになる。同年、小田原に修斗ジム「roots」を設立。2014年に現役を引退し、現在は「roots」代表、一般社団法人「日本修斗協会」理事長、「アマチュア修斗委員会」委員長として、修斗や総合格闘技の普及に努めている。
修斗ジム「roots」を設立後、しばらくは東京と小田原を往復する日々だった。しかし東京に住んでいた当時から「子どもが生まれたら小田原で育てたい」という思いを持っていたので、2007年に子どもが産まれるタイミングで小田原に戻ってきた。子育ての環境を求めた場合、「ほどよく都会でほどよく田舎」という立地は適していたようだ。
「まずは地元の小田原にジムをつくりたかった」と、「roots」を立ち上げたこと自体が、ルミナさんにとっての地元への恩返しといえる。王者に輝いたルミナさんであれば、周囲から東京での展開を望まれていたことであろう。しかし「格闘技の裾野を広げたい」という思いから、すでに多くのジムがある東京ではなく小田原に設立した。
2014年の現役引退以降、「roots」運営を本格化していく。プロになりたい会員ももちろん受け入れるが、ルミナさんの思いは一般に裾野を広げることである。
「より幅広く、格闘技を楽しんでほしい。老若男女、一緒に汗を流せるスペースにしたい。痛い、怖い、疲れる、若者にやられたくない(笑)と思っている年代にも来てほしいですね」
確かに取材当日も、本格的なトレーニングに励む選手と、さわやかな汗を流しに来た主婦が、同じマット上で練習していた。年に3回は「小田原フリーファイト」というイベントを主催。今まで20回ほど開催し、もともとはジム内を中心とした格闘技の大会であったが、外部からの参加者もどんどん増えている。今までは総合格闘技のアマチュア大会であっても、趣味レベルの人が参加するには少々ハードルが高かった。そこでグッと敷居を下げたビギナー大会を始めた。総合格闘技以外にも、ブラジルやアメリカ西海岸で人気があり道着を着て行われるブラジリアン柔術、総合格闘技から打撃を除いた格闘技であるグラップリングなど、きちんとレベル別にわかれているので初心者でもエントリーしやすい。
小田原はもちろん神奈川県、静岡県など近隣の会員だけでなく、修斗王者となったルミナさんを慕ってプロになりたいと、全国各地から門を叩く会員もいる。それでもあえて小田原から修斗、ひいては総合格闘技という文化を発信していく。↙︎
打撃、投げ、関節を極める、など基本的に何をしてもいい総合格闘技。その団体のひとつ「修斗」で活躍していた佐藤ルミナさんは小田原出身。19歳まで小田原で過ごし、上京後の1994年、総合格闘技団体「修斗」でプロデビュー。2005年には「修斗環太平洋ライト級」(当時の階級)の初代チャンピオンになる。同年、小田原に修斗ジム「roots」を設立。2014年に現役を引退し、現在は「roots」代表、一般社団法人「日本修斗協会」理事長、「アマチュア修斗委員会」委員長として、修斗や総合格闘技の普及に努めている。
修斗ジム「roots」を設立後、しばらくは東京と小田原を往復する日々だった。しかし東京に住んでいた当時から「子どもが生まれたら小田原で育てたい」という思いを持っていたので、2007年に子どもが産まれるタイミングで小田原に戻ってきた。子育ての環境を求めた場合、「ほどよく都会でほどよく田舎」という立地は適していたようだ。
「まずは地元の小田原にジムをつくりたかった」と、「roots」を立ち上げたこと自体が、ルミナさんにとっての地元への恩返しといえる。王者に輝いたルミナさんであれば、周囲から東京での展開を望まれていたことであろう。しかし「格闘技の裾野を広げたい」という思いから、すでに多くのジムがある東京ではなく小田原に設立した。
2014年の現役引退以降、「roots」運営を本格化していく。プロになりたい会員ももちろん受け入れるが、ルミナさんの思いは一般に裾野を広げることである。
「より幅広く、格闘技を楽しんでほしい。老若男女、一緒に汗を流せるスペースにしたい。痛い、怖い、疲れる、若者にやられたくない(笑)と思っている年代にも来てほしいですね」
確かに取材当日も、本格的なトレーニングに励む選手と、さわやかな汗を流しに来た主婦が、同じマット上で練習していた。年に3回は「小田原フリーファイト」というイベントを主催。今まで20回ほど開催し、もともとはジム内を中心とした格闘技の大会であったが、外部からの参加者もどんどん増えている。今までは総合格闘技のアマチュア大会であっても、趣味レベルの人が参加するには少々ハードルが高かった。そこでグッと敷居を下げたビギナー大会を始めた。総合格闘技以外にも、ブラジルやアメリカ西海岸で人気があり道着を着て行われるブラジリアン柔術、総合格闘技から打撃を除いた格闘技であるグラップリングなど、きちんとレベル別にわかれているので初心者でもエントリーしやすい。
小田原はもちろん神奈川県、静岡県など近隣の会員だけでなく、修斗王者となったルミナさんを慕ってプロになりたいと、全国各地から門を叩く会員もいる。それでもあえて小田原から修斗、ひいては総合格闘技という文化を発信していく。↙︎
“中途半端を極めていくという「総合」のあるべき姿”
小田原という立地だから実現したバランスのいいライフスタイル
佐藤ルミナさんは、朝起きて、波があればサーフィンに出かける。その後、ジムや家で仕事。常に波の状態をチェックし、波が上がりそうならばサーフィンへ。自分が教えている担当授業ではない時間帯は「波ありき」で柔軟に働いている。もしどこかに「roots支部」をオープンするのであれば、「必ずサーフィンができるエリアにつくる」という筋金入りのサーファーだ。
「10代でサーフィンに出合いました。本格的にはまったのは小田原にジムを出して、海の近くにいる時間が長くなってから。現役引退してからのここ数年間は、どっぷりとはまっています」
「rootsオヤジサーフィン部」も結成。rootsに通っている会員や地元の同世代の友だちなどを誘い、ルミナさんがどんどんサーフィンの魅力を広めていく。その結果、小田原周辺にかなりのサーファーが増えたそうだ。
「僕と同じように若い頃にサーフィンを経験したけど、難しくて諦めてしまったという人が多いと思います。当時は乗るのが比較的難しいとされるショートボードが主流でしたが、今は初心者でも乗りやすいロングボードに乗ることも普通になったので、ロングボードから勧めています。かつて挫折した人たちを呼び戻す活動を、地道に行っています」
ルミナさんはどの「サーフィン」もこなす。ショートボード、ロングボード。さらに、大きなボードでパドルを使って漕いで乗るスタンド アップ パドル(以下、SUP)。「総合格闘技」ならぬ「総合サーフィン」である。
「波乗りも格闘技同様、ジャンル分けしたくありません。中途半端と思われるかもしれませんが、“中途半端”を極めていく。それが僕なりの『総合』の解釈です」
しかし日本特有の「道を極める文化」が、総合という考え方の邪魔になることがある。「道を極める」ことは素晴らしいことだが、その裏には、いろいろなことに手を出すことへの否定的な意見が含まれることもある。
「日本はいまだにロングボードとショートボードでいがみ合ったりしています。SUPなんてさらに新参者ですからね。僕は、全サーファーが全種類の波乗りをやればいいのに、と思っています。そうすればみんなの気持ちと感覚が理解できるはず。切に願っています」
自らの活動を通して、総合サーフィンを広めるルミナさん。修斗ジムを小田原にオープンし、海に近いからサーフィンへ向かう回数が増えた。「東京ではこんなライフスタイルはあり得ませんよね」という。格闘技とサーフィンのバランスがいいライフスタイルを送っている。
佐藤ルミナさんは、朝起きて、波があればサーフィンに出かける。その後、ジムや家で仕事。常に波の状態をチェックし、波が上がりそうならばサーフィンへ。自分が教えている担当授業ではない時間帯は「波ありき」で柔軟に働いている。もしどこかに「roots支部」をオープンするのであれば、「必ずサーフィンができるエリアにつくる」という筋金入りのサーファーだ。
「10代でサーフィンに出合いました。本格的にはまったのは小田原にジムを出して、海の近くにいる時間が長くなってから。現役引退してからのここ数年間は、どっぷりとはまっています」
「rootsオヤジサーフィン部」も結成。rootsに通っている会員や地元の同世代の友だちなどを誘い、ルミナさんがどんどんサーフィンの魅力を広めていく。その結果、小田原周辺にかなりのサーファーが増えたそうだ。
「僕と同じように若い頃にサーフィンを経験したけど、難しくて諦めてしまったという人が多いと思います。当時は乗るのが比較的難しいとされるショートボードが主流でしたが、今は初心者でも乗りやすいロングボードに乗ることも普通になったので、ロングボードから勧めています。かつて挫折した人たちを呼び戻す活動を、地道に行っています」
ルミナさんはどの「サーフィン」もこなす。ショートボード、ロングボード。さらに、大きなボードでパドルを使って漕いで乗るスタンド アップ パドル(以下、SUP)。「総合格闘技」ならぬ「総合サーフィン」である。
「波乗りも格闘技同様、ジャンル分けしたくありません。中途半端と思われるかもしれませんが、“中途半端”を極めていく。それが僕なりの『総合』の解釈です」
しかし日本特有の「道を極める文化」が、総合という考え方の邪魔になることがある。「道を極める」ことは素晴らしいことだが、その裏には、いろいろなことに手を出すことへの否定的な意見が含まれることもある。
「日本はいまだにロングボードとショートボードでいがみ合ったりしています。SUPなんてさらに新参者ですからね。僕は、全サーファーが全種類の波乗りをやればいいのに、と思っています。そうすればみんなの気持ちと感覚が理解できるはず。切に願っています」
自らの活動を通して、総合サーフィンを広めるルミナさん。修斗ジムを小田原にオープンし、海に近いからサーフィンへ向かう回数が増えた。「東京ではこんなライフスタイルはあり得ませんよね」という。格闘技とサーフィンのバランスがいいライフスタイルを送っている。
家族
奥様のなつ子さん、息子の空来(そな)くん、愛犬のチャックとハリーのアウトドア大好き一家。空来くんには「格闘技よりもサーフィンをやってほしい」とか。
SUP
国内SUPブランド「SAWARNA」のアンバサダーを務めている。常に浮遊する海面上のボードに立ってバランスを取るので、漕ぐだけでも体幹を鍛えられる。
roots
修斗以外にもブラジリアン柔術やMMAを習うことができる総合格闘技ジム。女性や子どもも多く、初心者にも門戸を開いている。「無料体験や見学に来てください」
カメラ
デジタルも使うが最近は特にフィルムカメラにはまっている。海外に行ったときは、好きな「LOMO」などの掘り出し物カメラがないかショップに探しに行くこともある。
THE PADDLER PROFILE
佐藤ルミナ
修斗ジム「roots」代表、一般社団法人「日本修斗協会」理事長、「アマチュア修斗委員会」委員長。1994年、総合格闘技団体「修斗」でプロデビュー。2005年、「修斗環太平洋ライト級」(当時の階級)の初代チャンピオンになる。同年、小田原に修斗ジム「roots」を設立。2014年現役引退。