THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 010 Mr.Kenta Ishikawa 石川 拳大さん
サーファー|茅ヶ崎

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo:Taisuke Yokoyama  Text:Paddler

INPUT
「サーフィンは生きるためのツール。 自分を強くしてくれた」

サーファーの新しいキャリアモデルに

ご存知の通り、湘南は日本でも指折りのサーフタウンだ。日本のサーフィン発祥の地のひとつと言われ、半世紀以上にわたり、この海は多くの若者たちを魅了してきた。時とともにサーファーも歳を重ね、今や子ども、孫と世代を超えて波乗りを楽しむ者も少なくない。

石川拳大さんは、そんな湘南の次世代のサーファーのひとりだ。小麦色に日焼けしたがっしりとした体にTシャツがよく似合う。見た目はいわゆるサーファーそのものだが、その中身はかなりの異色だ。これまでの「サーファーのイメージを変えたい」と、新しくサーファーのキャリアモデル=生き方を、自らつくり出そうとしている。

両親がサーファーということで物心ついた時から、海は身近な存在だった。小学2年の時に、家族とともに横浜から茅ヶ崎へ引っ越し。以来、波があればサーフボードを抱えて家の近くのビーチに通う日々を続けている。幼少のころから、サーフィンの大会で活躍。めきめきと頭角を現し、地元でも注目するコンペティターとなった。大学生で世界大会の日本代表にも選出され、2020年の東京五輪の強化指定選手にも選ばれた。

同じ世代のトップクラスの選手たちのほとんどが、プロサーファーになることを夢見ている。だが、石川さんは「小さいころから、サーフィンを仕事にしようと思ったことは全くありませんでした」と。サーフィンのプロの世界は厳しい。プロサーファーといっても、大会の賞金だけで暮らしていくのは困難だ。サーフボードメーカーなどのスポンサー収入に頼るのが現状だ。副業をしながらコンテストに参戦している者も少なくない。そんな実情を知る両親から「プロサーファーにだけはなるな」と、口すっぱく言われてきた。

転機が訪れたのは神奈川大学に在学していた3年生の時だ。大学の授業で日本オリンピック委員会が選手と企業を仲介する「アスナビ」を知った。普段は企業で働き、遠征費などのサポートを受けながら選手活動を続ける「企業アスリート」の育成をするためのプログラムだ。「サラリーマンをしながら、大会で戦うサーファーがいてもいいのではないか?」と新しいサーファーのキャリアモデルを頭に描いた。

「月に1回、マイクを持ちながら80社近い企業の担当者の前で、今の活動や将来の目的などをプレゼンしました。あまりに緊張してしまい事前に考えていたことが、頭から飛んでしまって、ほとんどアドリブでした(笑)」

半年間、プレゼンを続けた結果、7社からオファーが。1社1社と面談して、双方の条件と理念が相通じたIT大手の日本情報通信株式会社(NI+C)に、この4月に入社を果たした。今は、海外のコンテストに参戦しながら、会社に通う日々だ。一般企業に勤めながら、コンペティターとして活躍する。日本のサーフィン界では斬新な試みだ。自分がこれからの世代のために、サーファーの新たな可能性を拓くことができれば......。そんな願いが石川さんの心の奥底にある。

これまでサーフィンととも人生を歩んできた石川さん。その思いや情熱は並々ならないはずだ。だが、「サーフィンは自分のすべてではない」ときっぱりと言う。それでは一体何なのか?

「人生のツールです。サーフィンのおかげで強くなれたと思います」

サーフィンの大会では地元の選手へのジャッジが甘い、いわゆるローカリズムが強いことが少なくない。幼いころから、そのような「不平等」を肌身に感じて悔しい思いを味わってきた。一時は失望し止めてしまおうと思ったこともあったが、両親の支えもありとどまった。

現状に腐ることなく直視し、その悔しさを自分の糧に変えてきた石川さん。その目には「道がなければ、自分でつくればいい」という、強い意思が宿っている。↙︎

OUTPUT
「東京五輪は通過点にすぎない。 将来は、日本の教育を変えたい」

まずは、湘南に小さな学校をつくる

今、日本は2年後の東京五輪の開催に向けて、熱気を増している。代表選手候補の石川さんも、目下の目標のひとつとして五輪出場を掲げているが、その視線はその先にある。

「東京五輪はもちろん視野に入れていますが、過ぎてしまうものなので、前と後というのがすごく大事だと考えています。出場できるのにこしたことはないですが、自分の人生の道のりの通過点に過ぎない。出場するだけでは何も変わりません」

では、石川さんの人生のゴールは何なのだろうか?
「今の僕のゴールは、大きいこと言うと日本の社会を変えることです。そのためには、日本の教育を変えなければならないと思っています」

日本のサーフィン界にとどまらず、国のいく末にも新しい道を拓こうと大志を抱く石川さん。そのきっかけとなったのが、中学卒業後に留学したオーストラリアでの高校生活だ。

英語が話せないことに悔しさを感じて留学を決意した石川さん。選んだ留学先は、オーストラリアのサーフィンの聖地ゴルドコースト。自分の特技であるサーフィンがコミュニケーションのツールの一助になればと考えたからだ。オーストラリアでは、サーフィンは国技のひとつ。サーファーはもちろん、波乗りをしない人とも自然と距離が縮まった。

石川さんが、オーストラリアで衝撃を受けたのは柔軟な教育システムだ。カリキュラムにサーフィンやカヌー、ヨットなどのマリンスポーツがあったり、カメラやアート、音楽などの芸術科目も充実、その多様性に驚いた。個性に応じて、その才能を伸ばすことを企図しているのだ。

「ひとりひとりが自分らしさを発揮できるような教育環境がありました。こういうことから、個性が生まれるんだなって思いました。オーストラリアから日本に帰ってきて、この国には自由がないなと思って…。自分らしく個性のある生き方ができる環境がないなと。その環境を変えるには何が必要なのか? そう考えた時に、生きる根源である教育を変えないといけないと思いました」

教育を変えるためには、新しい学校が必要だ。なければつくってしまえ、というのが石川さんらしい。現在、藤沢市辻堂の海の側に、学校をつくろうと専心している。「本当に小さな学校ですが…...」と謙遜するが、その行動力には瞠目(どうもく)する。

「教えるというよりも教え合うというか、シェアし合えればいいなと思っています。サーフィンはもちろんヨットやカヌーなどのスポーツや海洋学、また海の危険性なども共有できれば。海と人をつなげて、コミュニティをもっと強くしたいです。この湘南に住んでいるひとりひとりが海の魅力を知っていたら、もっと生きやすくなるのでは? まずは足元から変えていかないと何も変わりませんから」

インタビューが行われた昼下がりの茅ヶ崎海岸。石川さんが幼いころから波乗りをしてきたホームブレイクだ。沖合に烏帽子岩(えぼしいわ)を臨むビーチには、太平洋を通過した低気圧からのウネリが届き、次第に波が割れ始めてきた。地元のサーファーたちが 波をチェックするために続々と集まってくる。石川さんも知り合いのサーファーとあいさつしながら、海に目を向ける。

「湘南からは、離れたくないですね。いろんな所に行っても。戻ってきてすごく安心できる場所です。好きな人がいて、好きな空間があって、時間があって、好きな景色があって、湘南にしかないものがたくさんありますから」

THE PADDLER PROFILE

石川 拳大

1994年生まれ、茅ヶ崎市在住。4歳からサーフィンを始める。中学生で世界大会に参戦。高校時代はオーストラリア、ゴールドコーストに留学。帰国後は神奈川大学に進学。サーフィンサークルを立ち上げ、2年連続で全日本大会で優勝を飾る。
2017年に2020年東京五輪の日本代表強化指定選手に選出される。現在は日本情報通信の企業アスリートとして、会社勤めをしながら海外を転戦している。