PADDLER’S EYE 湘南の今を独自取材した特集と連載

SPORTS&OUTDOOR 「言葉より姿勢で見せるキャプテンシー」 サッカー -前編- 高山 薫さん

クラブ創立から50周年を迎えた2018年、J1に返り咲き、一層の活躍が期待される湘南ベルマーレ。
ハードワークとチームワークが信条のチームをまとめる、高山薫選手が考えるキャプテンシーとは。
そして、彼が全力でピッチを駆け続ける原動力の源は、どこにあるのだろうか。

Photos : Yasuma Miura  Text : Kei Ikeda

湘南につながる川崎時代の縁

Jリーグ開幕戦キックオフの2時間ほど前。平塚駅から競技場を目指して乗り込んだタクシーは、ほどなくして渋滞に巻き込まれた。
「ありゃー、もう混み始めてますね。去年まではこんなことはなかったのに、やっぱりJ1に上がると違うなあ」

運転手の言い訳を聞き流しながら窓の外に目をやると、ベルマーレサポーターたちが次々とタクシーを追い抜いていく。ユニフォームに身を包んだファミリーや子供の姿も多い。その背中に目立つのは、「23」の背番号。スピード感溢れる献身的なプレーで人気を集める湘南ベルマーレのキャプテン、高山薫さんの背番号だ。

高山さん自身も子供の頃は、Jリーグ観戦に足繁く通うサッカー少年だった。
「川崎で育ったので、バリバリのフロンターレファンでした。一度、スタジアムで試合を観戦してから、すっかりどハマりしてしまって、毎試合、友達と自転車で見に行ってました」

フロンターレは昨年、悲願のJ1優勝を成し遂げた強豪クラブだが、当時はまだJ2に所属する小さなクラブだった。対して、ベルマーレは中田英寿を要する人気クラブだったが、彼の記憶にベルマーレのイメージは薄い。

「とにかく、フロンターレが好きすぎて…。覚えているのは、1998年のワールドカップイヤーに平塚競技場で見た試合くらいかな。競技場が超満員で、すごいフラッシュが焚かれていた。『プロってこんなすごい応援の中で試合をするのか』って思ったのは、強烈に覚えてます」

中高を川崎のアカデミーで過ごした後、プロの扉を叩いたのは大学を卒業してから。湘南に入団したのは、そんな川崎時代の縁が理由なのだから面白い。当時のベルマーレには、ユース時代に共にプレーした永木亮太さん(現在は鹿島アントラーズに所属)の加入が決まっていて、ユース時代の監督だった曺貴裁(チョウ・キジェ)さんがコーチ(2012年から監督に就任)をしていたのだ。

「もし二人が湘南にいなかったら、熱心に誘ってくれた他のクラブに行っていたかもしれません。今、湘南のフロントでは、当時の同級生たちも多く働いるんです。不思議な縁ですよね」↙︎
ベルマーレが1年振りに戻ってきたJ1の舞台。開幕戦には多くのサポーターが詰め掛けた
ユニフォーム姿のサポーターの中でも「23」は人気の背番号。ファンの年齢層も幅広い
ジュニアユース時代から始まった曺監督との師弟関係は、かれこれ15年以上も続く
直感と恩師の存在

今では湘南の象徴的な選手に成長した高山さんだが、実は2013年にベルマーレがJ2に降格したタイミングで、一度湘南を離れ、柏レイソルに新天地を求めたこともある。

「俺、直感派なんですよ。物事なんでも、後からいろいろと考えて結論が変わることってあまりないと思っています。だからその時はオファーを受けた時点で迷いはなかった。ベルマーレに残ることは、当時の俺にとって逃げだったんです。戻ってきた時も、最初に『戻りたい』と感じた自分の気持ちに正直に従いました。2つの移籍を比べると、柏に移籍する時は不安な気持ちがすごく大きかったけど、湘南に戻る時は不安よりも楽しみがめちゃくちゃ大きかったです」

アマチュアと違って、プロになって求められるのは成長ではなく、やはり目に見える結果である。サッカーを職業にすることは単純に「楽しい」だけでできることではない、とは自覚している。

「でも、曺さんのサッカーって成長なんです。今でも自分たちを育てようとしてくれる。それがあると、サッカーに純粋な楽しさが出てくるわけです。『もう一度、楽しみながらサッカーをやりたい』と思ったからこそ、俺は湘南に戻ったんです」

シーズンの開幕にあたり、監督は順位や勝ち点などの具体的な目標を掲げなかったそう。そこには、結果よりも目の前のプロセスを大事にする、曺監督ならではのサッカーに対する姿勢が色濃く表れている。

「1試合を全力でやって、次の試合も全力でということを繰り返せば、結果的に勝ち点はついてくるものだと。それくらいの気持ちで毎試合、毎プレー全力を尽くす。わかりやすくて、俺はやりやすいですよ」

曺監督について語る時の彼は、まさにサッカー少年だった頃そのものだ。

「監督の頭は常にサッカーで一杯なんです。すごく怒られることもありますが、その分監督もサッカーと真摯に向き合ってるのがわかるから納得できる。その裏には愛があるわけです。まあ、怒られている時はガッツリ心を削られます。ぜひ、一度、みなさん怒られてみて欲しくらい(笑)。でも、それがあるから俺たちは成長できるんです」↙︎
開幕戦はベンチスタート。アップを進めるうちに集中度を増す表情が、出番の近さを物語る
待望の出番は後半の29分から。交代から数分後、チームは勝ち越しゴールを挙げた
先制点を挙げた新加入のイ・ジョンヒョプはベンチへ一直線。チームワークの良さが伺える瞬間だ
仲間と喜びを分かち合った原体験

昨年、大怪我を負った高山さんにとって、今シーズンはJ1再挑戦と共に自身も復活を期する重要な年だ。そんなシーズンに、曺監督の「お前らしくやれ。成長できるぞ」との言葉に背中を押され、再度キャプテンマークを巻くことを決めた。

「俺はみんなが思っているような、チームをまとめ上げるタイプのキャプテンではないですよ。自分の特徴は一生懸命走ったり、ひたむきな姿だと思う。そういう全力のプレーをピッチで仲間に見せることが大事だと感じています」

彼がキャプテンとして目指すスタイルは、監督が選手に見せるサッカーへの情熱的な姿勢と共通点が多い。その熱い気持ちは、プレーを見ればチームメイトだけでなく、サポーターにも伝わる。だからこそ、大勢のファンが「23」のユニフォームに身を包み、共に戦うためにスタジアムに足を運ぶのだ。

最後に、サッカー選手として一番記憶に残っている出来事を尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。

「ジュニアユースの時に6点以上の点差をつけて勝たないと全国大会に行けないっていう、絶望的な状況の試合があったんです。でも、その試合で奇跡的に6点取れて勝つことができた。そしたら、普段はふざけてばかりのチームメイトが笑いながら大泣きしていて、それを見た曺さんもめっちゃ堪えながら泣いているわけですよ。その2人を見たら、俺も初めて嬉し泣きをしました。あの時は、本当に嬉しかったなあ」

プロとして初めてピッチに立った日や、試合を決定づけるゴールを決めた瞬間など、もっと印象深い出来事はありそうなものだ。にもかかわらず、仲間や監督の喜ぶ姿を見て共に涙したことを一番の思い出にあげるとは。高山さんにとってのサッカーとは、仲間たちと楽しみを共有することなのだろう。

「長くやっていると、サッカーが嫌いになりそうになることもあります。でも、それに勝る楽しさがあるから、ずっと続けているんだろうと思います。最近ふと、引退後について考えることがありますが、今はサッカー以外に思いつかない。何をしたらいいか、誰か教えて欲しいくらいですよ」

開幕戦を見事勝利で飾った試合後、彼は熱い声援を送ってくれたスタンドへと向かった。選手たちで肩を組み、サポーターたちと「勝利のダンス」を踊って喜びを分かち合う顔は充実感に溢れていた。サッカーに勝る楽しみが見つけられる日まで、まだしばらくは背番号「23」が僕らと共にサッカーを楽しむ姿が見られそうだ。
ピッチを離れれば、大好きな洋服を買いに行ったり、温泉巡りを楽しむごく普通の青年だ
練習後の一コマ。気さくで近づきやすい雰囲気の高山の周りには、いつもファンが集まる
打ち上げ花火と共に開幕戦勝利を祝う「勝利のダンス」。今年は何度、このダンスが見られるだろうか

PROFILE

高山 薫

川崎市出身の29歳。幼稚園の先生の誘いでサッカーを始める。川崎フロンターレのジュニアユース、ユース、専修大学を経て、2011年に湘南ベルマーレに入団。今シーズンは、J1に返り咲いたチームをキャプテンとしてまとめ上げる。趣味はファッションと温泉巡り。平塚市在住。