THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 029 Mr. Shingo Suetsugu プロ陸上選手、「イーグルラン」代表 | 平塚

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo: U-SKE  Text: Paddler

INPUT
「人生を振り返ると、ターニングポイントには必ずここにいた」

スタジアムにいるランナーたちの視線がひとりの男に集まる。トラックで躍動している姿は、陸上選手にとっては、憧れの存在そのものだ。100メートルで10秒03という記録を打ち立て、2008年の北京オリンピック400メートルリレーで日本のオリンピック史上初めてとなる悲願のメダルを獲得したスプリンター、末續慎吾(すえつぐ しんご)さん。

「Shonan BMW スタジアム平塚」は、大会などが開催されなければ一般にも開放される。日本陸上競技連盟公認の競技場ということもあって、近隣の高校の陸上部員や、アマチュアの選手に格好のトレーニングスポットとして人気だ。この日も、思い思いに練習を励んでいたが、末續さんがトレーニングを始めると、足を止めるランナーも。10年の時を経た今も憧れの存在なのだ。

平塚は、末續さんにとって馴染みのある土地だ。これまで人生の半分以上をこの地で過ごしてきた。今も現役の選手として活動する末續さんは、日々、このスタジアムでトレーニングを積んでいる。

「湘南は肌が合いますね。街の中にもうっすらと緑や海の匂いがする。とてもバランスが取れている感じがします」

熊本出身の末續さんが、初めて湘南を訪れたのは18歳の時。東海大学への進学がきっかけだった。以後、ブランクはあるものの、ずっとこの地で暮らしている。

「人生を振り返ると、オリピック出場などターニングポイントには、必ずここにいるんです。むしろ人生を変えるぐらいの影響を与える土地と言ってもいいかもしれません。もしかしたら、前世は湘南で生まれ育ったのでは? と思うこともあります(笑)。『縁のある土地だからすごく大事にしたい』という気持ちです」↙︎
末續さんと湘南を結ぶ大きな絆が、この地でできた友人だ。

「もちろん故郷にも友だちはいます。ですが、今の友だちは、僕の中ですごく特別なんです」

今、友人を大切にするのは大きな理由がある。トップアスリートとして勝利を目指すために、メンタルをストイックなまでに高めていた時に、犠牲にしてしまったものが、人とのつながりだったのだ。

「競技に集中している間は人間関係を絶つ場面もあります。オリンピックに出場できる可能性があると、それだけが目的になってしまう。今となっては偏った考え方だと思いえますが、『国の期待を背負って』とか『日本代表として』という自覚が人生観になってしまい、人との関わりも段々と薄れていったんですよ。そして、孤独に……」

コンペティターが勝利を目指すのは至極当然だ。だが、そこに至る過程や努力は顧みられない。結果がすべて。選手に求められるのは勝利のみ。その “勝利至上主義” に末續さんも追い込まれた。周囲やマスコミからのプレッシャーが伸しかかり、大会前には眠れない日々が続いた。胸中に浮かんだ、「何のために自分は走るのか?」という疑問。その問いは膨張を続け、ついに末續さんの心を破る。答えを探すために、陸上競技の世界から身を退いた。

「客観的に見たかったんです、“勝利至上主義” というもののを。僕は、スポーツは勝利至上主義だと思ってずっとやっていましたからね。ですが、それを突き詰めた結果、幸福感があったのか? 瞬間的な優越感や安堵感はありますよね。では『幸福感があるか』と聞かれたら、ないんですよ。人間がやるスポーツで、『それってどうなの?』と疑問に感じて。もちろん、戦うシーンは大事ですけど、勝つ人間と負ける人間がいて、両方に価値があるならいいんです。だけど、『負けた』という事実に対して『無価値だ』という世界観は果たしてスポーツにとっていいことなのか……」

末續さんは一線から退いた後に、故郷の熊本に戻った。そこでの苦悩の日々は想像に難くない。世界のトップを見た者だからこその葛藤。常人では思いも及ばない思慮。やがて、「かけっこが好きだった」幼いころの自分への原点回帰をして、競技も復活。だが、末續さんがトラックで目指すものは勝利ではない。今、その新しい思いを、舞い戻った湘南の地で叶えようとしている。↙︎

OUTPUT
「平塚から全国に、自由に走ることを表現していきたい」

「『何で今も大会で走っているんですか?』と聞かれることがあります。『どうせ負けるのに、メダリストが恥ずかしいだけじゃないですか』と言われたことも。もう今は日本一になれるわけもありません。ですが、走ること、体を動かして何か到達することの本当の意味、価値は何なのかを伝えるために今僕は走っているんです。マスターズに出場したり、子どもの大会に本気で出てみたり、時折、犬と走ってみてたり(笑)。すると、『あの人、何やってるの?』という話になる。それは社会が走ることに対して一定方向でしか見ていないから。そういう既成概念に真っ向からいかないと。だから僕がいろんな走りを表現したい」

今年、2019年から、末續さんは新しいプロジェクトを湘南でスタートさせた。その名前は「イーグルラン」。

「僕が一番苦しかった時期に、外国の競技場で走った時のことです。グラウンドの真ん中で寝そべって、『何でこんなに苦しいんだよ』ってパッと空を見たら、空にでっかいワシが飛んでいたんです。『オレもこいつみたいに自由に飛べたらな』と思ったんですよ。そして、地上で走っている自分の頭の中がとても不自由だ、と気づいたわけです。『地上を走りつつ、空を飛ぶように自由に走る思想って何かな?』と疑問が浮かんで。で、その問いを忘れないように言葉にしたんです。『EAGLE+RUN』と」

 
勝利至上主義を決して否定するわけではない。ただ、「走ること」の自由さや喜び、楽しさを感じることを、いろんな人と一緒に走ることで共有したい。

「先日、高齢の方と一緒に走りました。『何で今日いらっしゃったんですか?』と聞いたら、『孫と一緒に走りたくて。孫と仲良くしたかったんだ』って。おじいさんは別に “走るため” に来ているわけではありません。“コミュニケーションをするため” なのです。そこに大きく力を発揮するのがスポーツなんです。それを包括的に提案するのが『イーグルラン』です。0歳児から上は100歳、いや何歳までも参加できる。『別に走らなくてもいいですよ。見ているだけでも良いですよ、友だちがほしかったらくればいい』という、日本初のクラブなんです」

湘南を皮切りにに、全国47都道府県に「イーグルラン」のコミュニティを広めていきたいと考えている。

「平塚からスタートしたのは、ここで友だちができたというのが大きいですね。今僕はサーフィンもするんですが、海を通した知り合いとか、陸上、走ることに関係なく、友だちができたから何か『ここでやろう』と思ったんです。まずは自分なりに、いいコミュニティをつくることができればと思っています」

今でも、「走ることは自分にとって何か?」と考えるという末續さん。「僕は走って生きてきたから、走ることが人生なのかな」と、その答えは見つかりつつある。

ESSENCE FOR HIS LIFE

THE PADDLER PROFILE

末續 慎吾

1980年熊本県生まれ。東海大学進学を機に湘南へ。2003年、100m 10秒03を記録。同年、日本選手権の200mで20秒03という日本記録を樹立、世界陸上パリ大会では200mで3位に。2008年北京オリンピックでは4x100mリレーで銀メダルを獲得。2015年4月よりプロ陸上選手として独立し、現在は自身のチーム「EAGLERUN」に所属。星槎大学特任准教授も兼任。2018年に設立した「EAGLERUN」では、世代や経験を超え、“走ること” をきっかけにつながり合える場の創出を目指す一般向け会員制陸上教室「イーグルラン・ランニング・コミュニティ(ERC)」も運営。