THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 044 Mr. Kentarou Tanaka 画家・アーティスト
田中健太郎さん | 浦賀

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo: Yumi Saito  Text: Takuro Watanabe Edit: Yu Tokunaga

INPUT
「とにかく見てほしかったんですよ。70億人に知らせなきゃいけないって思っていました」

「俺の絵でみんな引退させたろうと思っていましたね」

浦賀にアトリエを構えるアーティスト・田中健太郎さん。滋賀で生まれ育ち、名古屋造形芸術大学ではグラフィックデザインを専攻していたが、絵を描く方にシフトし、大学を卒業すると、すぐにアーティストの黒田征太郎氏を追いかけてニューヨークに渡った。

「アシスタントではないです。下についたら抜け出せませんから。黒田征太郎という人間に惚れてしまったんです。ニューヨークで黒ちゃんを独り占めしたかっただけ。あの頃、黒田さんを含めて洒落てる先輩たちが多かったんですよ。
そんな人になりたいと思ってました。でも、本当に思ってましたよ。自分の絵で、そんな先輩方を引退させるぐらいじゃないとって」

学生の頃から、とにかく作品を人に見せた。自分の作品ファイルを常に持ち歩き、当時暮らしていた名古屋から夜行バスに乗って、アート、デザイン界の大御所たちの展覧会に行っては声をかけて作品を見てもらい、直接電話をかけて持ち込みをしたりと、とにかく誰よりも多く描いて、動いた。

「とにかく見てほしかったんですよ。70億人に知らせなきゃいけないって思っていました。電車に乗ったらわざと開いて隣の人に見えるようにしたりしてね。
だって、隣にビル・ゲイツの娘とかが乗っていないとも限らないでしょう(笑)」

幼少期に近所の絵画教室で絵に出会い、絵に親しみを持って育った。高校時代は、絵から距離をおいて野球に没頭。その後に続く行動力の源は野球部魂にもあるという。美術方向に大学の進路を決めたのが少し遅かったこともあり、
何にも染まることなく、スポンジのように純粋に、さまざまなことを吸収していったというわけだ。

「大学に入って出会ったデザイナーやアーティストの教授陣が、俺が知っている腰が曲がってて、ももひき履いて、畑仕事をしているおっちゃんたちと違ったんです。教授たちは『いいか健太郎、ここにニューヨークから来た手紙があるだろ? この切手の貼り方がデザインなんだ』とか言うんですよ。なんやそれ。かっこええなあって(笑)」

技術はまだそこまで身についていなかった。だが、人より多く描くことで力をつけていったのだ。↙︎

OUTPUT
「絵に捕らわれて、絵に助けてもらってる。だから、絵にすがっているんです」

ずっと東京で活動を続けていたが、後に奥さんとなる未奈美さんと出会い、彼女が住んでいたことがきっかけで逗子に暮らし始めた。そして、子どもができたことが、田中さんの中に大きな変化をもたらす。それは作風の変化にも現れてきた。

「昔は今の自分のような作風は好きじゃなかったんですよ。形そのままを描くこととか。それこそ、花なんて描いたら終わりちゃうか? って思っていたぐらいです。でも、子どものためにも、とにかく売れないといけないと思うようになったんです。僕のカラーで仕事が来ないんだったら、まずは仕事を取れるようにしようと。そのためにタッチが増えていきました。これは絵描きとしてはコンプレックスでもあるんですけど、そのコンプレックスを持つというのも自分の特徴だから」

逗子での暮らしは楽しんでいたという。だが、湘南エリアならではのエココンシャスな思考を共有する気風や、コミュニティ意識の強さといった、目には見えてこないけれども、街に確かに流れている空気に違和感を感じ、コミュニティへの反発があったという。

「湘南エリアって、環境問題とか地域コミュニティのあり方に高い意識を持った人が多いと思うんですけど、その反面、“良いこと”以外を言いにくい風潮である土地という面も持っていると思うんです。同じ方向を向くのも素敵だとは思いますけど、違う価値観を持つ人間も必要だと思います。自分は白と黒の間をやりたいですね」↙︎
そうして移り住んだ浦賀で、これまで感じてきた違和感がなくなったのだそうだ。現在、奥さんの祖母が暮らしていた家の土地に、アトリエ兼自宅を建てる準備をしている。

「土地に憧れて住む、というような人間ではないんです。同じ土地に暮らす人たちにある共通意識みたいなものもないんです。絵を描くことでしか何にも繋がれないんですよね。描き続けて、結果として土地に何かを還元するということはあるかもしれない。それが自分ができる社会への動きだと思っています。
自分が先輩たちにそうして見せてもらったように、“こんなおもろいおっさんおんねんぞ”っていう姿を見せられたらいいなと思いますね」

とにかく描き続ける人なのだ。自分に向き合って、葛藤して、手を動かす。描く。ずっとそうやって生きてきた。根っからのアーティストとは田中さんのような人のことをいうのだろう。

「絵に捕らわれて、絵に助けてもらってる。だから絵にすがっているんです。絵だけは止められないし、サボれない。自分の作品は、人がはじめてアートに触れるきっかけにはなれるかなと思ってます。絵をもっと楽しんでほしいですね。自分がこれだけ好きになったものだから」

THE PADDLER PROFILE

田中健太郎

1977年滋賀県生まれ。雑誌や広告、書籍等へのイラストレーション、企業やブランドとのコラボレーションによるプロダクト制作、空間演出、壁画やライブペインティングなど、様々なプロジェクトにて活動。国内外での展示にて作品の制作と発表を続ける。