THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 023 Mr.Kei Kojima 「ベージュ アラン・デュカス 東京」総料理長 小島 景さん|鎌倉

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo: Taisuke Yokoyama  Text: Paddler

INPUT
「衝撃的な味。もうここで働くしかない」

鎌倉市農協連即売所、通称「レンバイ」。『PADDLER』でも何度か紹介しているのでご存知の読者も多いだろうが、近隣の生産農家が採れたての野菜を持ち寄って販売する小さなマルシェだ。10ほどの農家が、みずみずしい野菜を品台に並べている。生産者となごやかなに会話しながら、「レンバイ」をくまなく回る男性がひとり。柔和な雰囲気ながらも、野菜を目利きする眼光は鋭い。「ベージュ アラン・デュカス 東京」の総料理長、小島 景さんだ。

“食”の世界に詳しくなくても、アラン・デュカス氏の名前は耳にしたことがあるだろう。史上最年少の33歳でミシュランの三つ星を獲得したフランス料理の達人で、この冬には自身が主人公となるドキュメンタリー映画『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』も公開された。フランスはもとより世界中に自身の店を構え、合計で18もの星を獲得している料理界のカリスマだ。「ベージュ アラン・デュカス 東京」もその一つ。「シャネル」とコラボレーションしたエスプリあふれるフランス料理店だ。有名店がひしめき合う銀座で、ミシュランの二つ星を獲得する実力と人気を誇っている。

今も家族とともに鎌倉にお住まいの小島さんは、生まれは東京だが、多感な幼少期、青春時代を湘南で過ごした。サーフィンにものめり込み、江ノ電で高校へ通学中に波がよければ途中下車して海へ。ビーチで待ち構えていた先生に叱られたことも。湘南ではよくいる、ちょっとやんちゃな少年だったが、ある雑誌の記事がその後の人生を決めることに。

「日本人の料理人がフランスに渡り、名立たるレストランで修行し、苦労して帰国して、有名になったというサクセスストーリーを読んだんです。それにすごく惹かれたんですね。『料理ができるようになったら、自分でも店を持てるのか。やってみようかな』と」

当時は「まったく料理に興味がなかった」という小島さんだったが、高校卒業後は料理の道へ。

「すごく後悔しました。今までは単なる高校生だったんですけど、厳しい現場に入って、ギャップが激しかった。『なんて所に来ちゃったんだろう』と毎日思っていました」

和食、イタリア料理店で6年ほど修業を積み、小島さんはいよいよ念願の海外を目指す。行き先はイタリアだったが、急きょフランスに。「出発の1週間前くらいに本屋さんで『フランス語のABC』みたいな本を買いました」と言うほどの、ドタバタだった。最初の数ヵ月はホームシックで泣いていたというが、次第に現地にも知り合いができ、足かけ3年働いた。そして、ある日、運命的な出会いを迎える。

「ニースにある小さなレストランに食事に行ったんです。その料理が、自分にとっては衝撃的だったんですね。もう感動しちゃって。多分1990年ですけど、今でもハッキリ覚えています。その時の領収書は、今でも持ってます」

その店のシェフは、フランク・セルッティ氏。後にモナコの3つ星レストランの「ル・ルイ・キャーンズ アラン・デュカス ア オテル・ド・パリ」の総料理長を務めるアラン・デュカス氏の右腕と呼ばれる料理人だ。「ここで働く以外ない」と思った小島さんは、何度も断れながらも結果、セルッティ氏に師事することに。10年近く氏のもとで働き、公私ともに深い絆が生まれた。

33歳で一旦帰国した小島さんだったが、フランスへの思いは日に日に増した。そんな時、セルッティ氏から、デュカス氏が日本でオープンする店の手伝いをしないかと連絡が。その仕事がきっかけで、デュカス氏と結びつきが生まれ、再びフランスで働くことになったのだ。

「当時、アラン・デュカスは、日本人を絶対に雇わなかった。日本は嫌いとは言わないけど、あまりいい感情は持ってなかったらしいんですね。フランクになぜかと聞いたら、『日本人は料理を勉強しにフランスにくるけど、経験を積んだらみんな帰ってしまう。こちらは与えているのに何も還元してくれない。でも、お前は “ずっとこっちにいたい日本人” で、ちょっと変わっているからね』と言うのです」

ただ今度はひとりではなく、奥さんと一緒にフランスの地を踏むことに。帰国中に知り合って2週間で結婚、その後2ヵ月で渡仏した。

「トランク二つだけでフランスに。お皿も洗濯機もなく、アパートを探すところから。よく我慢してくれたと思います」

新天地は旧知のセルッティ氏が料理長を務める「ル・ルイ・キャーンズ」。意気揚々と働き始めたが……。

「地獄でしたね。もう、あんなに辛かったのってなかったような気がします」

既に36歳となっていた小島さんだが、ほかの料理人は20代。世界のトップレベルで働くだけに、みんな有名レストランで長年修業を積み、仕事ができた。年齢的には先輩格だが、レベルの差は歴然で、周りから「ダメなやつ」という烙印を押された。

「もう辞めるしかないな」と思い詰めたが、心配してくれたセルッティ氏がつくってくれたきっかけを機に、歯車がかみ合い始める。「ひとりじゃなかったので、愚痴も聞いてもらえたし、それがなかったら結構ヤバかったかもしれないな」と、奥さんの助けもあり、5年後には副料理長にまで上り詰めた。だが、奥さんは、フランスを気に入ってはいたが、望郷の念を抱いていた。セルッティ氏とも相談して帰国することに。すると日本から長年離れていた小島さんを思い、セルッティ氏とデュカス氏は、小島さんに日本での活躍の場を設けたのだ。

2006年に帰国し、4年後に現職へ。今では、「私の料理哲学を最も理解する日本人料理人」と、アラン・デュカス氏から絶大な信頼を置かれるまでになった。30数年の時を経て、小島さんは少年時代の夢を叶えた。↙︎

OUTPUT
「鎌倉の農家や雰囲気が失われてしまう。どうにかしないと」

小島さんが考える、料理人にとって大切なこととは?

「やはり素材がおいしくないと、どうにもならない。いい食材を集められる能力が大切です。いろんな人と綿密に接してなければ、手に入らなかったり、ちゃんとお付き合いしないとよいものを分けてもらえない。そういうことができないと、本当においしいところまで到達できない。すごく重要だと思います」

料理人の才能はもとより、重要なのは食材。料理の基本に徹する小島さんがひいきにしている野菜が、冒頭の「レンバイ」の野菜だ。以前は、朝仕入れをしてから、自ら携えて電車で東京の店まで出勤していた。今では宅配便を利用しているが、自分がレンバイに足を運ぶことは欠かさない。生産農家との対話で、信頼関係を築くことが目的だ。

「日本全国探したら、鎌倉野菜よりももっとおいしい野菜はあるかもしれません。ですが、そこまで今のところはいき着いていない。ここで買うものは前日に採ってきているので、鮮度がすごくいい。それに、生産者とダイレクトに会話ができるような場所ってないじゃないですか。でも、幸い鎌倉にはこういう所があって、毎日この人たちがいて会話して、自分の意見を言ったり、場合によっては新しい品種の野菜をつくってもらうこともあります」

今や“鎌倉野菜”といえば、都内の料理人たちがこぞって所望するブランド野菜。その先鞭(せんべん)をつけたのが小島さんなのだ。ずいぶん前になるが、デュカス本人も「レンバイ」を訪れたと言う。

「『お前が行ってる市場に行ってみたい』と言って、お付きの人のクルマでここに来たんです。そうしたら、もう喜んで。トマトとか勝手に取って食べちゃって、でも『ちょっとそれ食べないで』とか言えない雰囲気がある(笑)。野菜を買いまくってました」

元々農家の出身というデュカス氏。生産者が会する「レンバイ」の空気が肌に合ったのかもしれない。

「ここ数年、世界的に野菜がすごくクローズアップされていますが、きっかけはデュカスだと思います。30年ぐらい前に野菜のみのコースというのを始めていますから。本人も言ってます。『別にオレオレというわけじゃないけど、そのきっかけは自分がつくった』って」

職場に近い都心に住むという選択肢もあり得るが、「自分の優先順位はそこにはない」と小島さんは言う。利便性よりも、「この市場に通える」ことが第一なのだ。さらに湘南という土地そのものが、小島さんにパワーを与えてくれると言う。

「鎌倉は、まだ昔ながらの感じや自然が残っています。それに触れて、ダイレクトに料理の発想が生まれたりはないんですけど、ここに住んでいることによって、満足感を得ています。それは自分の仕事に絶対影響していると思います。サーフィンに行っても『あぁ、今日、海に入ってよかったな』って感じたり、帰りに稲村ヶ崎から由比ヶ浜の方に下る時に『わぁ、気持ちがいい』とか、一つのエネルギーになっています」

鎌倉で蓄えたエネルギーを、東京で料理というクリエイティブな力にする小島さん。「ベージュ アラン・デュカス 東京」でみんなが舌鼓を打つ料理は、鎌倉野菜とともに「湘南」が下支えしていると言っていいのかもしれない。地元を愛する小島さんだけに、鎌倉の明日に危惧も感じている。

「農家の人たちは高齢化が進んでいるので、跡継ぎがなく辞めてしまう人がいます。するとこういう市場が成り立たなくなってしまう。そういう人たちを自分のできる範囲で支えられたら。また湘南のよい雰囲気が失われるのは嫌なので、自分ができるのが何かはわからないんですけど、何かしら協力できれば。開発が進んで風景が崩れてしまったりすることは、絶対嫌ですからね」

「今が到達点という気持ちはない」と口にする小島さん。これからの活躍に目が離せない。

ESSENCE FOR HIS LIFE

THE PADDLER PROFILE

小島 景

1964年東京生まれ、鎌倉育ち。18歳で料理人としてのキャリアをスタート。1988年に渡仏後は数々の店で修行を重ねる。アラン・デュカスの右腕であるフランク・セルッティとは10年以上ともに働き、モナコ「ル・ルイ・キャーンズ アラン・デュカス」では3年間副料理長を務めた。「世界で最も私の料理哲学を理解し、実践する日本人シェフ」とアラン・デュカスの信頼は厚い。2008年に帰国、「ビストロ ブノワ」の料理長を経て、2010年より現職