THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 008 Mr.Taiichi Takahashi 髙橋 台一さん
うつわ 菜の花 オーナー|小田原

湘南には、自分らしく人生を切り拓いていくために漕ぎ出す人たち=THE PADDLERがいる。そんな男たちの物語。
第8回は、小田原にある「うつわ 菜の花」店主・髙橋台一さんが考える日本の心。

Photo:Taisuke Yokoyama  Text:Paddler

和菓子屋からギャラリーへ

戦国時代、北条氏が5代にわたり治めた古都、小田原。徳川の治世には、箱根の関を間近に控え、東海道の要として栄えた。今でも名城・小田原城の城郭が残り、城下町ならではの悠久の歴史の残り香が街のかしこに漂う。市内の中心を走る東海道、眼前には天下の険、箱根が立ちはだかる。この旧道沿いには、今なお昔ながらの佇まいの老舗が軒を連ねる。その一角で暖簾を下げているのが、「うつわ 菜の花」だ。
 
店の引き戸を開けると、全国各地から集まった茶器が出迎えてくれた。取材で訪れた日は、毎年恒例の「茶碗展」の真っ最中。店内には凛とした空気が流れ、茶釜の湯が沸く音が静かに流れる。「うつわ 菜の花」は、その道では知られた店だ。うつわ好きだったら、ここに展示されている作家の名前を目にすればきっと驚くはずだ。目当ての作家を求めて、東京はもちろん京都や九州から、わざわざ足を伸ばす客もいるという。時には高価なうつわが初日の30分程度で完売してしまうというから、店主の審美眼と目利きは相当なものだと察せられる。

店主の名前は、髙橋台一さん。明治38年、小田原の地で創業した老舗和菓子屋、旧「光栄堂」(現「菜の花」)の3代目として生まれ、1970年25歳のときに父親から看板を引き継いだ。1985年には、念願の初直営店「和菓子 菜の花」を小田原駅前お城通りに創成。昨年8月に4代目社長となる息子の空也さんに譲り、現在はもともと興味の強かった民藝、美術、工芸の世界へと身を投じている。40年ほど前からも、和菓子と一緒にうつわや書なども取り扱っていたが、1998年に本腰を入れて「うつわ 菜の花」を立ち上げた。ほかにも「箱根 菜の花展示室」というギャラリーや、生活雑貨を扱う「菜の花 暮らしの道具店」なども多角的に展開している。

まんじゅう愛とうつわ愛

小田原に生まれ育った髙橋さんは、小中学生のころから、伝統文化や芸術に興味を持つ早熟な少年だった。街に漂う古都の空気が、幼少の髙橋さんの趣味を育んだのだろう。それにしても小学生にして近所の骨董屋の店頭をのぞくのが楽しみだったというから、恐れ入る。今や骨董好きが高じて、収集したうつわは1万点はくだらないという。

そうした自分の興味の世界を、「うつわ 菜の花」でしっかりと見せようと思ったきっかけは、井上有一さんの書や黒田泰蔵さんのうつわであった。
「今では世界的な現代美術家として認知されている井上有一の書も、私は30年以上、収集しています。黒田泰蔵にの白磁のうつわも、日本ではやっと通用するようになってきました。もっと早くから注目されていい作家だと思っています」↙︎

“自分の全感覚で生きているほうがいい”

髙橋さんはそんな世界的に評価が高い作家の作品の数々を、和菓子店にも無造作に飾ってきた。「ほとんど気づく人はいない」と言うが、自分が好きなものを多くの者の目に触れてほしいという表れだろう。自分がよしとするものに対して、必ずしも社会が同調するとは限らない。だが、その作品が有名だろうが無名だろうが、ひとりでもいいと思ってくれれば、それでよしなのだ。

インタビューの途中で、髙橋さんの話はうつわから家業の和菓子に移った。
「最近やっと、日本で一番おいしいまんじゅうをつくれたと思えるようになりました。2000年に発売した『箱根のお月さま。』です」

「日本一」とは、何ともすごい自信だ。が、口にしてみて納得。上品でふくよかな甘みは絶品。材料は髙橋さんが全国を回って吟味。まんじゅうの命ともいえる「あんこ」の原材料である小豆は、すべて北海道・十勝の減農薬小豆を使用。現在は4組の農家と契約し、毎年、必ず産地を訪れているという。一和菓子屋がそこまで徹底することは稀だ。たとえ手間暇と時間がかかっても、自分の目で確かめて目利きしなければ納得しないという性格なのだろう。うつわもまんじゅうも等しく向き合い、そしてこだわる。それが髙橋さんなのだ。

小田原から全国へ広がる、日本の心

「『うつわ 菜の花』は作家の力で売れているだけで、まだまだ自身のプレゼンテーション能力で売れているわけではない」と謙虚な姿勢をみせるが、髙橋さんの目利きの成せる技であることは間違いない。長年の経験と知識の賜物だろう。

「いや、あまり勉強しないほうがいいと思いますね。理屈を考えるなんてことはしないほうがいい。私は感覚だけです。自分の全感覚で生きているほうがいい。僕くらいになるとボケて忘れるからいいけど(笑)。たしかにどの作品でも、初めて出合った人のほうがビビッドに受け止めるわけです。そういう意味で若いころの感性は大切にしないといけません。特に子どもは本当にすごい。知識や前情報なしに、いいものをパッと選び取りますからね」

髙橋さんは、アートを始め、何もかも西洋化されている日本において、日本の心を見つめ直して、たくさん素晴らしいものがあることに気づいてほしいという。だが、肩肘張って、みんなにそれを啓蒙しようという気はさらさらない。
あくまでも、ただ自分が好きだと感じる作品を見て、ひとりでもいいと共感してくれれば……。決して、他人に自分の趣味を押し付けるような野暮なことはしない。根っからの趣味人なのだ。「うつわ 菜の花」そして小田原から、日本の心が伝播されていく。

ESSENCE FOR HIS LIFE

息子

昨年から「菜の花」を継いでいるのは、一級建築士の資格を持つ息子の空也さん。「彼が高校2年生の頃、友人で建築家の中村好文と3人で高松城の建築を見に行きました。きっとその経験が彼に建築家を志させたのでしょう」

角偉三郎のだるま椀

生活の中で使われる漆作品を生みだしてきた輪島の故・漆工芸家。「ブータンで見つけた鉄椀を角さんに見せたら、それをもとに、見事に自分の作品へと昇華させていて驚いた」

沖縄/パナリ焼

「離れ」という意味の「パナリ」と呼ばれていた新城島で作成されていた土器。うつわを含め、髙橋さんにとって沖縄はもっとも重要な土地のひとつ。

「箱根のお月さま。」

みずからのアイデンティティを詰め込んだ作品ともいえるまんじゅう。飽和蒸気で20分間、蒸し上げることで、しっとりとした皮に仕上がる。

THE PADDLER PROFILE

髙橋台一

明治38年創業の「光栄堂」(現「菜の花」)。その3代目として1970年に社長就任。1985年に初の直営店「和菓子 菜の花」をオープン。店名は小田原市民に募って生まれたものだ。1996年、栗まんじゅう「月のうさぎ」を発売。箱根には「はこね・和菓子 菜の花」をオープンする。1998年に「うつわ 菜の花」を開店。2000年、温泉まんじゅう「箱根のお月さま。」発売。2017年、「菜の花」社長を引退し、民藝、美術、工芸の世界に注力している。


【Information】

「菜の花 暮らしの道具店 in 伊勢丹新宿店」

会期:〜2018年3月20日(火)
時間:10:30〜20:00
会場:伊勢丹新宿店本館5階 =キッチンダイニング/プロモーション

「菜の花 暮らしの道具店」が伊勢丹新宿店に出張する毎年恒例の企画。
陶芸家の内田鋼一さんや黒田泰蔵さんをはじめ、髙橋台一さんが愛する作家たちのうつわや道具が販売されます。

http://kurashinodouguten.com