THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 019 Mr.Hiroyuki Nishimura 彫刻家|大磯

湘南には、自分らしく人生を切り拓くために漕ぎ出す男たち=THE PADDLERがいる。
彼らを突き動かすもの、そして、視線の先にあるものは?
INPUTとOUTPUTという二つのワードから、その行動を探る。

Photo:Koki Saito  Text:Paddler

INPUT
「山の稜線の際とか岩肌とか、湘南の自然が自分の作品の形になっている」

湘南と東京、二つの顔

大磯の町に寄り添うようにそそり立つ高麗山(こまやま)。そのふもとに湘南でも屈指の古社、高来神社(たかくじんじゃ)が社殿をかまえている。緑あふれる境内には平日でも参拝者やハイカーの姿を目にすることも。その参道から小道に入ると、不思議な建物が。ステンドグラスが目を引く白亜の一軒家、パッションフルーツの蔓(つる)が温室の天井をはい、中庭にはモーゼ像が鎮座している。ガレージの奥はアトリエのようだ。道行く人も、この無国籍な空間に足を止める。看板には、「象鯨 Zougei art academy」の文字が。

ここは彫刻家・西村浩幸さんが、自宅敷地内に開いた後進を育成するために始めた美術予備校。さらに「世代工房」という次世代のアーティストのためのギャラリーも併設している。西村さんは、湘南でも指折りの彫刻家だ。1960年大阪に生まれ、東京藝術大学を卒業後、個展やグループ展を重ね、数々の彫刻コンクールで賞を獲得してきた。奥様のエリーザ嘉代子さんも、鍛金のシルバーアクセサリー作家、義父も著名な彫刻家という芸術一家。経歴に目を通すだけでも、エリート作家だ。さて、どんな方かと臆していると、西村さんは、白いTシャツにデニムとカジュアルな姿で玄関から現れた。健康的に日焼けした容姿は、アウトドアマンのよう。ふと目をやると、家の脇には数艇のシーカヤックと古びたサーフボードが置かれていた。

「海が好きなんですよ。以前はサーフィン、今はシーカヤック。湘南はもちろん伊豆にも行きますよ」

ギャラリーとアトリエを案内してもらった後に、中庭で奥様お手製のブルスケッタをお昼にいただきながら話を聞くことに。まずは彫刻家を志したきっかけを質問したところ、開口一番、「僕、美術が大嫌いだったんです」と。

「本当は獣医になりたかったんですよ。浪人をしていたのですが、成績が悪すぎて予備校の先生は絶対無理だと。しゃあないから、ボーっとしてたら友人が『西村、勉強でけへんでも行ける大学を見つけた。東京藝大や』と。で、受験したら、確かに偏差値は高くはなかったけど、実技しか見なかった」

今の活躍ぶりからは想像できない理由で美術家への道へ一歩踏み出した西村さん。2浪目からは東京の予備校に通うことになり、東京に下宿したものの、茅ヶ崎に“隠れ家”を構えた。予備校がある新宿までは、電車で1時間ほど。そして、見事大学合格を果たすと、今度は本格的に茅ヶ崎の在住者となった。通学には決して便利な土地ではないが……。

「サーフィンをやりたかったんですよ。地元のおっちゃんに『お前、本末転倒やろ』とよく言われました。『学校と波乗りどっち行く方が多いんや? 多い方に住めよ』と聞かれたから『サーフィンの方が多いです』と言った。あきれられましたね」

西村さんが進学したのは、彫刻とは無縁の染色専攻。本人曰く「工芸科が受かりやすく、中でも一番楽なのが染色だったから」と、これまた不純な動機。とはいえ、たった2年の勉強で当時倍率50倍という狭き門の藝大に受かったのだから、才能の賜物だろう。だが、西村さんは「僕は素質はないですよ」と屈託なく語る。卒業後は大学院に進学するが、バイクで事故をしてやむを得なく中退。紆余曲折あって、大手の予備校の人気講師に。その後、独立して「象鯨 Zougei art academy」を開校した。

「謙虚に言ってるわけではなく、本当に美術が嫌いで下手やった。けど、今は僕、デッサン上手いですよ。自分で言うのもなんだけど、腕が立つ方。それはいつも練習しているから。生徒に負けたらあかんから。やっぱり上手くないと付いてこないから」

単に美大に合格するためだけではなく、表現者としてアーティストの力をつける学びの場を目指す異色の予備校である「象鯨」。西村さんが、教室にいる学生に向かって口にするのが、「お前、こんな所に居て何すんねん? 予備校にくるなら山に行け」。本末転倒のような言葉だが、そこには西村さん自身の経験が宿っている。

「バイクでケガをしてからは、サーフィンではなくシーカヤックに乗るようになったんです。葉山や伊豆先端とかに行くと、岩場が多くて波が打ち寄せる。怖いです、あの波が。僕の作品は直線が多いと言われているんですが、あの恐怖感、断崖絶壁の鋭い感じに影響を受けています。波のエッジがバチっと落ちる時、波頭の際ってあるでしょ。山の稜線(りょうせん)の際とか岩肌とか、あれが自分の形になっていると思うんですね」

直線とは相対する放物線。「美の法則」では、この放物線が美しいとされている。ゆえにこの放物線を作品に取り入れる彫刻家は多い。

「だけど、僕は『放物線に頼るな』と生徒に言っているんです。答えは自然の中にあると」

 アトリエの教室の壁に貼られた手書きの言葉。
「稜線見えたらデッサン描ける」 ↙︎

OUTPUT
「湘南の廃木に第二の人生を与えたい」

彫刻家として西村さんが向き合うのは木だ。一本の丸太をチェーンソーで切り出し、作品を象る。その彫刻作品は自由奔放で躍動感にあふれ、どこか生みの親の西村さんをほうふつとさせる。西村さんが彫刻を手がけるようになったのは、30代になってからのことだ。当時大阪堺市に在住。意を決して湘南の最果て、湯河原に別荘を購入。当時はバブル経済まっさかりで、宅地開発が盛んだった。伐採によって廃材が山ほどあった。

「その辺に丸太が置いてあったんですが、気になって。それで持ち主に『捨てるなら下さい』と、お願いして譲ってもらいました。だけど、僕は彫刻を習ってない。だから技術もないし、面倒くさいのが嫌い。それで、チェーンソーを買ってきて彫刻を始めたんです。削る方が楽じゃないですか」

以後、西村さんは木に魅かれ、彫刻のマテリアルとして専心していく。その骨格になる制作テーマは、「捨てる木を使う」ということだ。湘南エリアでは、宅地造成を始め路樹の伐採や台風などの災害で倒れた倒木が多く出る。そのような廃木を運んでいるトラックを目にすると、西村さんは業者に声をかけて、丸太を譲ってもらう。「僕はケチなんで、もったいないと思うんですよ」と笑うが、話を聞くとその真意が浮かび上がる。

「僕が考えているのは、『捨てられる木の第二の人生』。本当は第一の人生をまっとうすればいいんだけど、使われないで捨てられる運命の木が、また作品にとして生まれ変われれば。今はただのゴミやねんけど、これが自分が削るだけで新しく生まれて、また誰かが長く使ってくれればいいかなと」

今、西村さんはかつての教え子でもある若手彫刻家・里佳孝さんと共同で「象鯨彫刻家具」を手がけている。「使える彫刻」を掲げて湘南や伊豆半島の伐採樹木や倒木を引き取り、イスや棚などの家具として蘇えらせている。

その制作現場であるアトリエを訪れた。湯河原のミカン山の一隅、その広さは2000坪にも及び、天気がよければ伊豆七島やスカイツリーを臨むことができる。アトリエとはいうものの雨風をしのぐ小屋はあるが、作業はすべて太陽のもと。西村さんが、丸太にチェーンソーの刃を入れた。前日の雨で濡れていた倒木から、おがくずが勢いよく舞い飛ぶ。辺りに、生命力があふれる木の香りが漂った。



>>City Guideでの「象鯨」の記事はこちら

ESSENCE FOR HIS LIFE

THE PADDLER PROFILE

西村 浩幸

1960年大阪生まれ。彫刻家。ファッションブランドの企画デザイン、イラストレーターなどを経て、美術大学の大手予備校の講師に。2008年に独立して「象鯨 Zougei art academy」を設立。後進の育成をしながら、創作活動に励む。
大磯の自宅は、一般も訪問できる(予約制)ギャラリー「世代工房」でもあり、また異分野の作家たちが集い、様々なクライアントのための作品をつくる「(株)象鯨」の拠点でも。
若手彫刻家・里佳孝さんと共同で始めた象鯨彫刻家具が『トヨタ・フォレストチャレンジ・森あげプロジェクト』に採用され、現在、三重県大谷町のアトリエでトヨタ三重宮川山林の材木を使い作品を製作中。

象鯨 Zougei art academy
http://zougei.com
(株) 象鯨
http://zougei.jp