THE PADDLER 湘南で自分らしく人生を切り拓いてゆく男たちを紹介

THE PADDLER | 003 Mr.Hideto Irikawa 入川ひでとさん
入川スタイル&ホールディングスCEO | 二宮

湘南には、自分らしく人生を切り拓いていくために漕ぎ出す人たち=THE PADDLERがいる。そんな男たちの物語。
第3回は入川スタイル&ホールディングスの入川ひでとさんが語る、素の自分に戻れる二宮での発見。

Photo:Taisuke Yokoyama  Text:Tomohiro Okusa

都会とは異なる豊かさを、二宮で見つめ直す

「最近はずっと二宮にいるよ」という入川ひでとさんは、7年前、のんびりとした風情が残る神奈川県中郡二宮町の海沿いに家を購入した。1999年に「LDK」を創業、「WIRED CAFE」や「SUS(SHIBUYA UNDERPASS SOCIETY)」「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」などを生み出し、カフェブームを牽引してきた。コミュニティが生まれるカフェの重要性を説き、さまざまな場所で事業開発や都市開発、店舗プロデュースを実践してきた、「ビジネス」の人である。

「もともとあまり固定された場所にいないので、都会を離れるというような概念はありませんでした」という入川さん。まだまだ全国を飛び回りつつも、二宮に居を定めたようだ。

二宮・大磯エリアは、東京から電車で1時間半程度の海を抱く町。そもそも「湘南」という呼称や、日本のサーフカルチャーは大磯に端を発しているともいわれる。

自身のビジネスの知見や、東日本大震災以来通っている東北での地域ブランディングや場づくりの経験を、二宮の若い世代に伝えているのかと思えば、そうではなく、逆に経験させてもらうことが多いらしい。はたして、都会でバリバリ働いて経済力があることは豊かなのか? 年収はその何分の一だとしても、地方や田舎には経済力というものさしでは測れない豊かさがある。入川さんはそれを二宮で見つめ直している。

「今まで私たちがさまざまな場所で行ってきたビジネスのノウハウなんて、ここでは何の価値もありません。逆に毎日、発見だらけです」

これまで武装していた鎧を、二宮で1枚ずつはがしていく。誰しも自分らしくいたいと思うもの。だけど、そもそも自分らしさってなんだ? と自問自答してしまう。

「素の自分に戻るエクササイズをしている感覚です。私にとっては練習しないと難しい。人間はすぐにエゴが出たり、かっこつけてしまいます。しかし、二宮にいると飾らない自分に近づけている気がします。練習どころか、もう修業みたいなものですけどね(笑)」

二宮で自分らしさを取り戻すためには、これまでの経験が邪魔になるのかもしれない。しかし地域のことを真剣に考える二宮の若者にとって、「素の入川ひでと」は頼れる兄貴分となっている。本人は謙遜して否定するが…。

「若者たちに何かを伝えているつもりはないし、“ケツを叩く”こともしていないけれど、もし頼ってくれるのであれば一生懸命に応えたい。分け隔てなく、こんな私を受け入れてくれることがうれしいし、二宮や大磯の最大の魅力です」

自然や環境の魅力はもちろんある。しかしいちばん重要なのは「どんな人たちが住んでいるか」。隣り近所を大切にする暮らしとコミュニティが残り、来る者をあたたかく迎えてくれる。地方は保守的で障壁の高いことが多いが、二宮や大磯はオープンマインドだ。

入川さんが「カントリージェントルマン」の話をしてくれた。イギリスの貴族や紳士のライフスタイルで、普段は田舎に住みながらも、いざというときは国家のために中央へと馳せ参じる。日本では白州次郎が典型例として語られる。大磯にも「大磯の老人」という別称で呼ばれる「カントリージェントルマン」がいた。かの元首相・吉田茂である。彼は大磯に住み、時折、中央に行っては、教育、指導、叱咤激励をし、大磯に帰っていく。大磯には明治から昭和初期にかけて、吉田茂以外にも、伊藤博文、山縣有朋、大隈重信など政財界の要人たちの別荘が建ち並び、文化的素養が高い土地柄だったのだ。入川さんはこれをロールモデルとし、大磯・二宮エリアに興味を持った。これを地で行くとは言わないが、近い感覚があるのかもしれない。↙︎

“父親との遊びがつくった趣味への思い”

趣味と仕事の境界線なんてない。すべてがスタイル。

多趣味かつ物へのこだわりが強い入川ひでとさん。どの趣味にも、持ち物にも、本気で向き合うのが「入川スタイル」。趣味と仕事の境界線が存在しない。仕事がON、プライベートがOFFという区別ではなく、ずっとON(寝ているときがOFF)。

「とにかくスケジュールを立てるのが大好き。仕事も遊びもどんどんスケジュール化していきます。すると空いた時間が気になってくるんですよ。それを埋めていくと、どんどん忙しくなる。起きているときは、仕事と趣味を1秒たりとも忘れたことはありません」

入川さんのほとんどの嗜好性は、60〜70年代にルーツを持つ。それは「趣味人」だった父親の思い出とも符合する。父親は「ひでと少年」と犬をバイクの後ろにくくり付けたみかん箱に乗せ、釣りや鉄砲を撃ちに行った。それは父親と男ふたりの貴重な時間。だからこの高度成長時代は、入川さんにとって心豊かな黄金時代。この時を「かっこよく」駆け抜けたカルチャーに心惹かれるのも当然なのだ。

「貧しかったけれど、日本全体が夢見ていた時代。夢と希望にあふれていました。そのときに生み出された遊びや文化、道具には、特に魂がこもっているように感じます」

そのこだわりは半端ではない。
釣りを例に見てみよう。フライフィッシングが趣味である入川さん。ロッドビルダーの草分け的存在である宮坂雅木さんが製作する最高峰のバンブーロッドを手に入れた。しかしそれを使用してはいない。「もったいない」わけではない。フライフィッシングには竿のほかに、リール、糸、毛針、ランディングネットなどの道具が必須。さらには帽子やサングラスなどのファッションアイテムも必要になる。

「この竿を使うには、すべて同年代のアイテムを集めないといけません。現代的アウトドアブランドのフィッシングベストを着ても似合わない」。そう入川さんは考える。

自宅も同様だ。この家が建てられたのは70年代。建築様式が和風から洋風へと移り変わっていく過渡期であり、建築家たちはどんどん新しいものを取りいれようと必死になっていた。既存のスタイルと戦いながら、錯綜していた時代といえる。
「そういった意味では中途半端かもしれませんが、せめぎ合いのなかで“やってしまえ!”という勢いが大好き」

そうした思いへのリスペクトからか、ここでも入川さんのこだわりは炸裂する。スイッチプレートは、沖縄に残っていた当時のものを探しだした。カーペットは当時製造されていたリノリウム製の床の柄をプリントしたもの。カーテンも同時代のもので揃えた。置かれるべき場所にきちんとあることで、すべてが当時の佇まいに感じる。

多趣味だからといって、仕事をおろそかにしているわけではない。前述のようにすべてがONだ。趣味や遊びにも背景や文化があり、真剣に向き合わないと見えてこないものもある。そんなライフスタイルを二宮から提案してくれる。

ESSENCE FOR HIS LIFE

大阪万博

1970年、入川さんが中学2年生当時、日本の明るい未来を予見していた大阪万博。会期中にはパスを買い、50回通ったとか。

クラシックカー

50〜60年代の車が大好きで、クラシックカーをレース用にリビルドしている。「Alpine Classic Car Rally」というレースも主催。

バンブーロッド

ロッドビルダー宮坂雅木さんによる最後のハンドメイド・バンブーロッド。5番と6番という2種類のかたさのロッドを所有している。

自宅

前川國雄の弟子筋が60年代に設計したモダニズム建築の平屋。廃虚状態から、建てられた当時のパーツを全国から集め、復元していった。

THE PADDLER PROFILE

入川ひでと

入川スタイル&ホールディングスCEO
事業開発から業態開発、街づくりまで幅広い分野で活躍。特に、東急沿線の都市開発やTSUTAYA TOKYO ROPPONGI、UT STORE HARAJYUKUの店舗プロデュースなどで高い評価を獲得。現在は、これまでの実績や蓄積したノウハウ、独自のマーケティング手法等を基に、関連企業の企画および開発業務のほか、街づくりや地域ブランディングに関する社会実験や、教育・出版事業等をメインに精力的に活動を行っている。現在、IS&Hの企画・開発業務を全て生活スタイル研究所へ移管。