PADDLER’S EYE 湘南の今を独自取材した特集と連載

RIDE ON #001 Akiyuki Yamadera
1962 Triumph Bonneville T120
オーナー:山寺 晶之さん

父から受け継いだ1962年型トライアンフボンネビル T120。
父との思いでの詰ったバイクには、山寺家のサーフ&バイクなライフスタイルと家族史が刻み込まれている。

2017.11.01 WED | UP

Photos : Tomohiro Momo  Text : Riku Emoto

父、山寺貞夫さんが自らチョッパーにカスタマイズしたトライアンフ。親子でのアメリカツーリングとトライアンフ…。ガレージに飾られた写真は思い出の宝庫だ
使いこなされた工具、油が染みこんだ作業台、時間をかけて集めたレアなパーツ等、オーナーのライフスタイルを物語る宝物。そして、見果てぬ夢へのロマンがぎっしりと詰ったガレージは、まさに大人のおもちゃ箱のようだ。七里ヶ浜のビーチを見下ろす自宅に併設され、父から受け継いだ2台のヴィンテージなトライアンフが鎮座する、山寺晶之さんのガレージもそんな趣が漂っている。

2台のトライアンフはバイク史に名を残す名車である以上に、山寺家の歴史を物語る父から子へと受け継がれた魂の系譜でもある。父・貞夫さんがカスタマイズした製造当時の面影を多分に残す、ガソリンタンクがライトグレーと水色塗り分けられたツートンカラーのトライアンフボンネビルT120。1962年型のエンジン部分とトランスミッション別体式は、とりわけヴィンテージバイクとしての希少性が高い。トライアンフのフラッグマシンであると同時にバイクとサーフィンをこよなく愛し続けた貞夫さんの生命の証でもある。

バイク&サーフカルチャーの融合

今は亡き貞夫さんが20代のころ、ファーストバイクとして手に入れた憧れのボンネビルは、オイルが漏れ外観もかなりヤレた状態だった。今では若者達の間で旧車そのものや、ヴィンテージバイクをベースにボバースタイル等自分流にカスタマイズすることがアンダーグラウンドな世界観としてにわかに脚光を浴びている。だが、貞夫さんが手に入れた当時はパーツの流通もままならず、国内外の限られた情報を頼りに自らパーツをかき集め、エンジンを始めすべて独学で修理からカスタマイズを行っていた。

サーフィンを通じ、60年から70年代のカリフォルニアのサーフとバイク事情に明るかった貞夫さんは、サーフボード作りで培ったグラスファイバーの技術とセンスを活かし、ボンネビルを今でいう“ソーカルスタイル”の原点的なチョッパーへと変貌させた。人生の大半を費やし、自身の感性と魂が注ぎ込まれたボンネビルT120は時代の変化とともに姿を変え、サーフ&バイクのさきがけ貞夫さんとともにR134を駆け抜けていた。↙︎
かつてチョッパーだったボンネビルはほぼオリジナルな状態に。キックを踏み降ろすと父の鼓動が蘇る
父のファーストバイクにして晩年まで乗りこなしていたBonneville T120(右)と父が最後に手掛けた62年型トライアンフTR6 SS
父から子へ...

そんな父を間近で見て育ったカエルの子は、やはりカエルであった。晶之さんは父の思い出が詰ったボンネビルについて、「僕が生まれる以前から、このバイクは家にあったので、自分以上に父の人生や我が家の有り様を見てきたんだと思う。バイクとサーフボードは物心がついたときから、家にあったので何の違和感もなかった。それに父がバイクをいじるのは日常的なことだったし、自分自身もバイク=ヴィンテージトライアンフなんですよ」。そんな晶之さんのファーストバイクもやはり、1962年型TR6SSスクランブラーだった。

貞夫さんはことあるごとに「バイクの楽しみは、自分流にカスタマイズする。それが神髄だ」と口にしていた。晶之さんも、父の助言と手助けがありながらも、エンジンをバラし組み上げ、全塗装と随所に自らの手でカスタマイズを施した。それが、父から子に息づく山寺家の血統なのだ。


MY FABORITE ROAD
父がそうだったように、僕もグループでのツーリングよりも、ソロで自由気ままに走るのが好きですね。家の真下を走る国道134号線を波を見ながらクルージングしたり、道路が空いている時はちょっとアクセルを開けて、スピーディな走りを楽しんでいます。

>MAP(国道134号線鎌倉周辺)
常に愛車をベストの状態をキープする。時間が出来ればバイクと語り合い、コンディションをチェック

PROFILE

山寺晶之

1973年藤沢市生まれ。鎌倉市七里ヶ浜在住。
鎌倉の老舗ウェットスーツ会社イナポリトレーディング(RASH WET SUITS)の取締役で工場長を務める。